徳元[語句情報] »
徳元
「徳元〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
徳元の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
であった。抽斎六世の祖を小左衛門辰勝という。大田原|政継、政増の二代に仕えて、正
徳元年七月二日に歿した。辰勝の嫡子|重光は家を継いで、大田原政増、清勝に仕え、二....
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
一月というのが安禄山が謀反を起した月で、天宝の年号は去年限り、今は安禄山の世の至
徳元年だ。天子様も楊貴妃様も、この六月に馬嵬で殺されてお終いになった。折角の忠義....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
る(風呂屋女に仇名《あだな》を付けて猿というは垢をかくという意となり)とあり。正
徳元年板|其碩《きせき》の『傾城禁短気《けいせいきんたんき》』に「この津の橋々に....
「余録(一九二四年より)」より 著者:宮本百合子
って居る。 二十三で権中納言、二十七で従二位中宮太夫となった道長は、三十歳の長
徳元年、左近衛の大将を兼ねるようになったが、その前後に、大臣公卿が夥しく没した。....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
た。 永享五年一月には、伊勢、近江、山城に、同年九月には相模、陸奥、甲斐に、宝
徳元年四月には山城、大和に、文正元年四月には山城、大和に、明応三年五月にはやはり....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
あらわれて、その註に「細河被官人薬師寺備後の寄子《よりこ》」とある。この代官が延
徳元年に上洛した時には、柳二荷、鴈《がん》、干鯛、黒塩三十桶、刀一腰(助包)持参....
「火の扉」より 著者:岸田国士
特別な任務もあつた。 既に解体を終り、ガランとしたこの工しようの一室で、井出一
徳元大佐は、妻康子の到着を待ちうけていたのである。 彼はたつたいま起きたばかり....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
|後円融院が二条|為遠に撰集の勅命を下され、八月以後それに従事したが、六年後の永
徳元年(弘和元年)八月二十七日為遠は五十歳で世を去ったので、十一月になって為重が....