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徳島
「徳島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
徳島の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「放浪」より 著者:織田作之助
判決を下された。過失致死罪であった。一年三ヵ月と聴いて、順平は涙を流して喜んだ。
徳島刑務所へ送られた。ここでは河豚料理をさせる訳ではないからと、賄場で働かされた....
「三人の双生児」より 著者:海野十三
ました」 と、春子女史はいった。 「すると奥さまのお郷里は四国です。阿波の国は
徳島というところに、安宅という小さな村があります。そこならサワ蟹だって、立葵だっ....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
されていると。 十二月二十一日 ◯今暁四時、熊野沖に大地震あり、和歌山、高知、
徳島、被害甚だし。東京ではゆるやかな水平動永くつづきたり。 十二月二十四日 ◯....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
一、松平|大膳太夫様、(長州藩主)鉄砲洲および佃島。 一、松平|阿波守様、(阿州
徳島藩主)御浜御殿。 一、酒井雅楽頭様、(播州姫路藩主)深川一円。 一、立花左近....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
に意見をしようとする者も無く、才兵衛いよいよ増長して、讃岐一国を狭しとして阿波の
徳島、伊予の松山、土佐の高知などの夜宮角力にも出かけて、情容赦も無く相手を突きと....
「春昼」より 著者:泉鏡花
。東京の浅草に、深川に。周防国、美濃、近江、加賀、能登、越前、肥後の熊本、阿波の
徳島。津々浦々の渡鳥、稲負せ鳥、閑古鳥。姿は知らず名を留めた、一切の善男子善女人....
「関牧塲創業記事」より 著者:関寛
創業記事端書 世の中をわたりくらべて今ぞ知る 阿波の鳴門は浪風ぞ無き 予は第二の故郷として
徳島に住する事殆んど四十年、為に数十回鳴門を渡りたるも、暴風激浪の為めに苦しめら....
「四国遍路日記」より 著者:種田山頭火
いよ出発、更始一新、転一歩のたしかな一歩を踏み出さなければならない。 七時出立、
徳島へ向う(先夜の苦しさを考え味わいつつ)。 このあたりは水郷である、吉野川の支....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
があって其島がちょうど五徳の足のような形になって居る。よってその三島を名づけて五
徳島といっておいたです。それから幾日か経て八月十七日にギャア・ニマという市場に着....
「放浪」より 著者:織田作之助
つの生命を奪ったことは罪に値するという訳だった。一年三ヶ月と聴いて、涙を流した。
徳島の刑務所へ送られた。こゝでは河豚料理をさせる訳ではないからと、賄場で働かされ....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
エタに対する取扱いたるや、元禄十二年に服装その他百姓に準じてなお軽くせよと令した
徳島藩でも、その後十四年の正徳三年に至っては、エタの身居棟付帳・宗門帳は町人・百....
「来り人の地位と職業」より 著者:喜田貞吉
「来り人」となって、やはり村外れの小屋に落ち付くという事になるのであろう。 旧
徳島藩での、「郷士格以下|身居調査書」というものに、 、吟味の上村方故障無之分は....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
も、「八幡宮掃除。」とある。鶴岡八幡宮の掃除も、もとエタの任務であったのである。
徳島藩でも、城の掃除は付近のエタが勤めていた。 京都の天部部落がかつて四条河原....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
、既に元禄頃の諸藩の布令書などには、エタ取締りの事が往々見えている。元禄十二年の
徳島藩の布令書に、町人百姓の風俗を戒めて、その終わりに、「穢多は百姓に準じて尚軽....
「海にふぐ山にわらび」より 著者:北大路魯山人
それはふぐではあるまいか、と言いたい。東京でこそほとんどふぐを食う機会がないが、
徳島、下関、出雲あたりに住んで、冬から早春の候にかけて、毎日のように、ふぐを食う....