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「徳治〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

徳治の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
いた。光寿は迷庵の歿後|僅に五年にして、天保三年に光徳を家督させた。光徳は小字を徳治郎といったが、この時|更めて三右衛門を名告った。外神田の店はこの頃まだ迷庵の....
読書遍歴」より 著者:三木清
正大学の守屋貫教氏、九州大学の四宮兼之氏、今は文部省にいる長屋喜一君があり、山下徳治君が来た。 その頃マールブルクへ行った人々は、哲学の方面ではニコライ・ハル....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
助《らいすけ》の腰掛けて髪を結《ゆ》はする床屋《とこや》の店先《みせさき》、大谷徳治《おおたにとくじ》が湯帰りの浴衣《ゆかた》に手拭《てぬぐい》を額《ひたい》に....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
奏覧を終えた。『新後撰和歌集』である。この年為兼はゆるされて佐渡から京に帰った。徳治三年後二条天皇が崩御になり、持明院統の花園天皇が即位されて、伏見院が院政を摂....
私本太平記」より 著者:吉川英治
なし。 と、はたからも見えるくらいな、ご熱愛ぶりだった。 が、さまでな君も、徳治二年ふとご病死された。花の命は短かった。ご悲嘆のあまり後宇多は落飾(出家)さ....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
を捨て去っていない。西洋は力を尚ぶが、我らの守る処は道である。政治上に於て我らは徳治を理想とするに対し彼らは法治を重視する。道と力は人生に於ける二大要素であり、....