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「志賀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

志賀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
に燃え拡がって、玉藻のすがたは阿闍梨の眼先きを離れなかった。日ごろ嘲り笑っていた志賀寺《しがでら》の上人《しょうにん》の執着も、今や我が身の上となったかと思うと....
白蟻」より 著者:小栗虫太郎
五年四月 世田ヶ谷の寓居にて 著者 序、騎西一家の流刑地 秩父《ちちぶ》町から志賀坂峠を越えて、上州神ヶ原の宿《しゅく》に出ると、街を貫いて、埃《ほこり》っぽ....
志賀直哉氏の作品」より 著者:菊池寛
自分は現代の作家の中で、一番志賀氏を尊敬している。尊敬しているばかりでなく、氏の作品が、一番好きである。自分....
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
イカラであった。 二十五年前には「国民之友」が漸く生れたばかりで、徳富蘇峰氏が志賀、三宅両氏と共に並称せられた青年文人であった。硯友社は未だ高等学校内の少年の....
古狢」より 著者:泉鏡花
んない。おじさんを。」と外套氏は笑ったが。 ――今年余寒の頃、雪の中を、里見、志賀の両氏が旅して、新潟の鍋茶屋などと併び称せらるる、この土地、第一流の割烹で一....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
の機会を失っていたものである。後者は近年、六代目菊五郎によって上演され、梅幸の豊志賀、菊五郎の新吉、いずれも好評を取った。 三十二年十二月の歌舞伎座で「鏡ヶ池....
俳優と現代人の生活(対話Ⅴ)」より 著者:岸田国士
く、そういう感じとか表現をつけさせる。それは築地小劇場の初期に行われたやり方だ。志賀直哉さんの言葉を借りて言えば「火の通らん」芝居、舞台という事になる。この言葉....
可能性の文学」より 著者:織田作之助
小説を貧困に導くための努力であった。悪意はなかったろうが、心境的私小説――例えば志賀直哉の小説を最高のものとする定説の権威が、必要以上に神聖視されると、もはや志....
大阪の可能性」より 著者:織田作之助
どうにもなおし難いものかも知れない。 文壇で、女の会話の上品さを表現させたら、志賀直哉氏の右に出るものがない。が、太宰治氏に教えられたことだが、志賀直哉氏の兎....
起ち上る大阪」より 著者:織田作之助
に怒っているように見えたと、田村さんの令嬢で、二十一歳の若さでありながら、二代目志賀山勢鶴を名乗る志賀山流舞の名取である尚子さんは、私に語った。因みに大阪で志賀....
猫と杓子について」より 著者:織田作之助
大家たちの作品が最高のものでしょうか。例えば藤村先生の文学、徳田秋声先生の文学、志賀直哉さんの文学などは、日本的な小説伝統の限りでは、立派なものであり、最高のも....
僕の読書法」より 著者:織田作之助
い。はや僕は己惚れを取り戻すのである。 僕はこんな風に思うのである。森鴎外でも志賀直哉でも芥川龍之介でも横光利一でも川端康成でも小林秀雄でも頭脳優秀な作家は、....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
吹く 行家 以上『新後撰集』 立かへり春はきにけりささ波や氷吹きとく志賀の浦風 為家 かげろふのもゆる春日の浅緑かすめる空も雪は降りつつ ....
古事記」より 著者:太安万侶
方行政の基礎が定められた。―― ワカタラシ彦の天皇(成務天皇)、近江の國の志賀《しが》の高穴穗の宮においでになつて天下をお治めなさいました。この天皇は穗積....
新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
である。いま東朝館といっているのが旧の金沢亭で、青年時代私はよくここへ出かけた、志賀にいわせると、岸田の知識は金沢亭がもとだそうである。 玉木商会はそう古くは....