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「応安〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

応安の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
中味と形式」より 著者:夏目漱石
形《ひながた》を拵《こしら》えて飛ばして見ればはたして飛ぶ。飛ぶことは飛ぶので一応安心はするようなもののそれに自分が乗っていざという時飛べるかどうかとなると飛ん....
日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
子をこそ農村の中堅分子と呼ぶのだから、いうまでもなく彼等の生活意識は農業主義に一応安住するわけであるが、今この意識を他種の意識に対立させたり、之を国史的に権利づ....
世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
、そして貸した本の代りに板か紙の薄い函でも書架へ※入しておくようにでもすれば、一応安心なのだが、それが中々面倒なものだから、つい貸した本を忘れたり借りた本をなく....
我が人生観」より 著者:坂口安吾
はありませんよ。ですが、厳密に云ってはキリがないから、マア、マアという程度で、一応安心しているのですね。あなたの年齢では、もう生涯危険がないものと考えてさしつか....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
である。多くはないが、こうした自然のとらえ方が意識されてきているのである。頓阿は応安五年八十四歳で大往生をとげた。 さて、こうした自然を天象のうごきから見る見....
三国志」より 著者:吉川英治
刻三千余騎の精兵をひきいて都へ馳せ上った。 「まず、彼が行けば」 と曹操は、一応安心して、さらに、呉を打破ることへ思いを急にした。 時。建安十三年の冬十一月....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
師円寂とされている。が、この人の伝記もよくわかっていない。書かれた時代は正平から応安年間(今から約六百年前)ごろだろうと考察されている。いずれにせよ、足利尊氏の....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
いと思っている)。延暦寺の散所法師については、わずかに岩橋小弥太君から示された『応安嗷訴記』の、 応安元年八月廿五日政所集会議曰、 重可事 来廿八日神輿入洛事....