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応永
「応永〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
応永の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「根岸お行の松 因果塚の由来」より 著者:三遊亭円朝
する。さて序《ついで》でございますから一寸《ちょっと》申しておきますが、一休様は
応永《おうえい》元年のお生れで、文明《ぶんめい》十三年の御入寂《ごにゅうじゃく》....
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
があったから辛防出来たろう。それから遂に大自在力を得て、凡そ二百年余も生きた後、
応永七年足利義持の時に死したということだ。これが飯綱の法のはじまりで、それからそ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
時、白米で馬を洗い水多きように見せて敵を欺き囲《かこい》を解いて去らしめた。また
応永二十二年、北畠満雅|阿射賀《あさか》城に拠りしを足利方の大将土岐持益囲んで水....
「雪たたき」より 著者:幸田露伴
いたことを語っている。山名|氏清が泉州守護職となり、泉府と称して此処に拠った後、
応永の頃には大内義弘が幕府から此地を賜わった。大内は西国の大大名で有った上、四国....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
。そして最後の二十四年七月にも京都に大地震があって、東寺の講堂が傾いた。それから
応永年間も地震の多い年で、約八十回にわたる記録が見える。そのうちで七年十月には伊....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
したとはいうものの、応仁の乱は、足利時代史において珍しい性質の兵乱とはいえない。
応永・嘉吉にあった騒動をただ一層大袈裟にやったまでのことに過ぎぬ。したがって応仁....
「雪の宿り」より 著者:神西清
破せられた道元和尚の法燈は、今なお永平寺に消えずにいるという。それも俺は見たい。
応永のころ一条|戻橋に立って迅烈な折伏を事とせられたあの日親という御僧――、義教....
「埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
ない。我々はよほどこの点を見なおさなくてはなるまいと思う。 室町時代の中心は、
応永だけでも、
応永時代は延喜時代よりも重要だと言わなくてはなるまい。 もっとも....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
る。平家琵琶から分れて咄し家が立ち、『太平記』や『明徳記』や『大内義弘退治記』(
応永記)のような講釈軍記の台本が書かれている。大和の春日神社に奉仕していた大和|....
「神仙河野久」より 著者:田中貢太郎
持が将軍になって、言語道断な振舞をするから、慷慨の余りに山へ入ったのじゃ、わしは
応永初年の生れであるから、山へ入ったときは四十あまりであった、初めは富士山へ登っ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
乗院寺社雑事記』文明三年正月十八日の条に、『成恩寺殿御記』を引いて相国寺大塔供養
応永六年九月十五日の式のことを書いた中に、 左大臣内大臣以下 一人 布衣侍二人 ....