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忠死
「忠死〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
忠死の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「押絵の奇蹟」より 著者:夢野久作
静養とを事とせられしが、その室《へや》の※間《びかん》には、先王の身代りとなりて
忠死せし黒奴《こくど》の肖像画が唯《ただ》一個掲げあり。その状貌|宛《あた》かも....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
元亀三年十二月二十二日、三方ヶ原の戦に於て、信玄は浜松の徳川家康を大敗させ、殆ど家康を獲んとした。夏目次郎左衛門等の
忠死なくんば、家康危かった。 信玄が、三方ヶ原へ兵を出したのは、一家康を攻めん....
「堺事件」より 著者:森鴎外
騒動になろうも知れません。どうぞそれだけは御免下さりませ」 「いや、国家のために
忠死する武士の記念じゃ。留めるな」 垣内と僧侶とは揉み合っている。それを見て垣....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
、物音もいたしたであろうに、白河夜船とは、いやはや、不覚でござったよ」
同僚の
忠死をいたむ伊賀ざむらい。門之丞の死骸は、二つになった胴をつなぎあわせ、白木綿で....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
世に郷名として存するもの、丹波・美濃・越後等に見ゆ。仁賢天皇五年、佐伯部|売輪の
忠死を憐れみ、あまねく諸国に散亡せる佐伯部を求めてこれをその子孫に与え、佐伯造と....
「三国志」より 著者:吉川英治
に減水を示さなかった。※徳が奮戦した岬には、その後、一基の墳墓が建てられた。彼の
忠死をあわれんで関羽が造らせたものだという。 一方、その地方の大洪水は、当然、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
。 というふうに、一族みな任官、受賞の栄に浴した。 当然、これには亡き寂阿の
忠死もあずかって勧賞の考慮にいれられたことではあろうが、およそ一家でこれほどな恩....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
人である。郷里ではその子の禎介氏の記念図書館の館長をしていられ、老後を全く壮烈な
忠死を遂げた、その子の名誉を己れの円光として生きている人である。親としてはこれほ....