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「忠臣蔵〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

忠臣蔵の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
けです」 「じゃあ、虚無僧ふたりも偽物ですね」 「勿論これも偽虚無僧、芝居ならば忠臣蔵の本蔵とか毛谷《けや》村のお園《その》とかいう所です。御承知でもありましょ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
肩衣《かたぎぬ》に萠黄《もえぎ》の袴という継※※を着けた彼の前髪姿は、芝居でみる忠臣蔵の力弥《りきや》のように美しかった。大身《たいしん》の子息であるから、かれ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
殿さまはここらでも評判の綺麗なかたで、去年元服をなさいましたが、前髪の時分にゃあ忠臣蔵の力弥《りきや》か二十四孝の勝頼《かつより》を見るようで、ここから船にお乗....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
子方《はやしかた》もみな素人の道楽者を狩り集めて来たのであった。 今度の狂言は忠臣蔵の三段目、四段目、五段目、六段目、九段目の五幕《いつまく》で、和泉屋の総領....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ダンゴ坂と書いてあります。 そこで、このお話は文久元年の九月、ことしの団子坂は忠臣蔵の菊人形が大評判で繁昌しました。その人形をこしらえたのは、たしか植梅という....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
例書』の日付けによると寛延元年九月とありますから、今からざっと百七十何年前、かの忠臣蔵の浄瑠璃が初めて世に出た年のことですから、ずいぶん遠い昔のことですよ」 「....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
わない。こっちが判官で、あいつに窘められるかと思うと忌になる」 今度の狂言は「忠臣蔵」の通しで、師直と本蔵を使うのはかの吉田冠蔵であった。かたき同士の冠蔵を相....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
周囲にはたくさんの古い墓がある。杉の立木は昼を暗くする程に繁っている。「仮名手本忠臣蔵」の作者|竹田出雲に斧九太夫という名を与えられて以来、ほとんど人非人のモデ....
木の子説法」より 著者:泉鏡花
くねっていても、何となく便る気が出て。――町のちゃら金の店を覗くと、出窓の処に、忠臣蔵の雪の夜討の炭部屋の立盤子を飾って、碁盤が二三台。客は居ません。ちゃら金が....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
慮なく劇場の中へ飛びこんできて見物の注意を奪つたから、不幸なこの小屋の見物たちは忠臣蔵の芝居を見ているときでも、自分のからだがプラットフォームの近所にいることを....
丹那山の怪」より 著者:江見水蔭
しますのが、お染、久松、小僧、尼、子守女、女房、雷鳴様にまでなりまする。それから忠臣蔵を致します時は、先ず五段目でも、与一兵衛から、定九郎、勘平、テンテレツクの....
子供役者の死」より 著者:岡本綺堂
というのか、市川というのか忘れてしまいましたが、年は十六、娘形専門の綺麗な児で、忠臣蔵の小浪や三代記の時姫などを勤めていたのですが、なにしろ舞台顔もよし、小手も....
勘平の死」より 著者:岡本綺堂
いような乱雑の体たらくである。――江戸の末期、二月初旬の夜。 (座敷のまん中には忠臣蔵六段目の勘平に扮したる和泉屋の若い息子角太郎がうしろ向きに横たわっている。....
磯部の若葉」より 著者:岡本綺堂
。周囲には沢山の古い墓がある。杉の立木は昼を暗くするほどに繁っている。『仮名手本忠臣蔵』の作者|竹田出雲に斧九太夫という名を与えられて以来、殆ど人非人のモデルで....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
いつの時代でも人をひきつける力があるのは、そういうところから来ております。日本の忠臣蔵もおなじことです。 仏教の言葉で、これを「実相平等因果差別」と言います。....