»
忤
「忤〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
忤の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「二人の友」より 著者:森鴎外
と対座して赤裸々に意志を発表すれば、私は愉快を感ずる。私は年久しくそう云う人と相
忤《あいさから》わずに往来したことがある。 さて私は前にも云った通りに、最初か....
「虞美人草」より 著者:夏目漱石
うのは、世話になるのが厭《いや》だと云う意味なんだ。――だから僕は表向母の意志に
忤《さから》って、内実は母の希望通にしてやるのさ。――見たまえ、僕が家《うち》を....
「門」より 著者:夏目漱石
」と聞いた。宗助は何とも答えなかった。御米は、 「どうでもいいわ」と半分夫の意に
忤《さか》らわないような挨拶《あいさつ》をした。宗助はせっかく連れて来た御米に対....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
」と、わたしは学者めかして云った。 「そんなことかも知れませんよ」と、半七老人は
忤らわずにうなずいた。「又ある説によると、大蛇が水の底に棲んでいる筈はない。これ....
「嬌娜」より 著者:田中貢太郎
子を生んだので、小宦と名をつけた。孔生は朝廷から差遣せられて地方を巡察する直指に
忤うたがために官を罷めさせられたが、いろいろのことに妨げられてかえることができな....
「浮雲」より 著者:二葉亭四迷
、また心を取直して考えてみれば、故無くして文三を辱《はずかし》めたといい、母親に
忤《さから》いながら、何時しかそのいうなりに成ったといい、それほどまで親かった昇....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
茗荷屋という旅店があった。その主人|稲垣清蔵は鳥羽稲垣家の重臣で、君を諌めて旨に
忤い、遁れて商人となったのである。清蔵に明和元年五月十二日生れの嫡男|専之助とい....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
けたりするのです。 「この人は酔っているのだな」と、画工は思いました。 そこで
忤らわずに付いてゆくと、役人はやがてまた、着物をぬぎ、帽子をぬぐという始末で、山....
「青年」より 著者:森鴎外
あると云っている人だから、容貌も道学先生らしく窮屈に出来ていて、それに幾分か世と
忤っている、misanthrope らしい処がありそうに思ったのに、引っ張られて....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
ん》に封ぜられた。ところが信雄は此の国替を悦《よろこ》ばなくて、強いて秀吉の意に
忤《さから》った。そこで秀吉は腹を立てて、貴様は元来国を治め民を牧《やしな》う器....
「自警録」より 著者:新渡戸稲造
い》の『言志《げんし》四|録《ろく》』に曰《いわ》く、 「寛懐《かんかい》俗情に
忤《もと》らざるは和《わ》なり、立脚《りっきゃく》俗情に墜《お》ちざるは介《かい....
「興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
後国にて祖父|今安太郎左衛門の代に召し出されしものなるが、父田中|甚左衛門御旨に
忤い、江戸御邸より逐電したる時、御近習を勤めいたる伝兵衛に、父を尋ね出して参れ、....
「番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
のは面倒であると播磨はいった。しかも彼にとっては苦手の伯母御の意見といい、それに
忤らってはよくないという十太夫の諫言もあるので、播磨も渋々納得して、申訳ばかりに....