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念仏講
「念仏講〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
念仏講の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「牛をつないだ椿の木」より 著者:新美南吉
いていて、崖《がけ》の上《うえ》の仁左《にざ》エ門《もん》さんの家《いえ》では、
念仏講《ねんぶつこう》があるのか、障子《しょうじ》にあかりがさし、木魚《もくぎょ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ていないはずはありません。 「盆踊りかね」 「今はその季節ではありませんね」 「
念仏講かな」 「そうでもないようです」 「祇園囃子《ぎおんばやし》てやつかな」 ....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
ぶり》を、横に振る分にゃあ、俺も男だ、なぶり殺しに殺すか、仲間部屋へ連れ込んで、
念仏講にした上で、夜鷹宿へたたき売るか。人間、出ようによって、仏にもなりゃあ、鬼....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
うとやはり夜分歌を謡い踊を踊る位のもので、その外には折々|摩尼講まあ日本で言えば
念仏講とか観音講とかいうようなものでありまして、その摩尼講にラマ摩尼が出て昔の高....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
令である。何事かとみな顔をそろえた。 ――場所は、日ごろ時宗の信徒が大勢寄って
念仏講をするがらんとした大床の板かべ板じきで、阿弥陀像の壇にだけ、あかりが灯って....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
正成は呼吸をやすめた。茅ぶき屋根の一|宇の堂が前にある。なるほど、村人たちが
念仏講に寄りあつまる時宗の道場でもあろう。門ともいえぬ形ばかりの入口には、大きな....
「放浪」より 著者:織田作之助
な子供だと思っても、深く心に止めなかった。商売柄、婚礼料理、町内の運動会の弁当、
念仏講の精進料理などの註文が命だったから、近所の評判が大事だった。生国魂神社の夏....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
鉦もまた念仏のために叩くもので、日は少しずつちがっても、近畿地方にも正月第一回の
念仏講を、鉦はじめというのは通例である。 淡路の島では十六日を「真言始め」とい....