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恟
「恟〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
恟の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
験したことのない主君に対して、大御所の激しい叱責がどんな効果を及ぼすかを、彼らは
恟々《きょうきょう》として考えねばならなかった。 彼らが帰って来たと聞くと、忠....
「ゼラール中尉」より 著者:菊池寛
まったからである。 一九一四年の七月の下旬になると、リエージュの人心はすこぶる
恟々《きょうきょう》たるものであった。リエージュの要塞もひそかに動員をして、弾薬....
「宇宙女囚第一号」より 著者:海野十三
いぜ」 僕は大きくうなずいて、そんなことは平気ですと博士に合図したが、内心では
恟《きょう》々としていた。これはなにかよほど意外なものが、この室内にあるらしい。....
「幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
うと思われます、保護する丈の権利を私に与えてさえ下されば」と云い掛けると、秀子は
恟《びっく》りして余より離れ「貴方も矢張り権田さんの様な事を仰有る、保護して下さ....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
曾我部元親以来、これが二度目である。 高松藩の上下は、外敵の侵入に混乱し、人心
恟々として、毎日のように城中で評定が行われた。 帰順か抵抗か、藩論は容易に決せ....
「赤外線男」より 著者:海野十三
った。帝都の市民は、この「赤外線男」が今にも自分の身近かに現われるかと思って戦々
恟々としていた。 そのうちに、ボツボツ「赤外線男」の仕業と思われることが、警視....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
が、しかし当時は西郷の威名と薩摩隼人の驍名に戦いていたのであるから、朝野の人心|
恟々たるものであったであろう。 熊本城に於ては、司令長官谷干城少将以下兵二千、....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
土城に入れ、清洲の信雄を移り来らしめて後見となした。天正十年十二月の事で、物情|
恟々たる中に年も暮れて行った。 明くれば天正十一年正月、秀吉、かの滝川一益を伊....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
楠勢にはとても敵せぬと、京都に報告して居る。小康を得て居た当時の京都の人心は為に
恟々として畏怖動揺したとみえる。洞院|公賢は其の日記に此の仔細を記して居るが、京....
「貞操問答」より 著者:菊池寛
た。九月中に、一、二度お電話がかかりましたことは、存じております。」女中は、まだ
恟々としていた。 「そうお。」と、顎であちらへと示しただけでもう顧みず、また鏡に....
「前記天満焼」より 著者:国枝史郎
白い、ひとつこいつの手に従いて、殺人請負業を開店いてやろう。天変地妖相続き、人心
恟々天下騒然、食える野郎と食えぬ野郎と、変にひらきがあり過ぎる。こんな浮世ってあ....
「柳営秘録かつえ蔵」より 著者:国枝史郎
た町を通って行くと、深編笠の侍が出て、斬って捨るということであった。江戸の人心は
恟々とした。夜間の通行が途絶え勝ちになった。 さて一方お杉の身の上には、来べき....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
」 血気にまかせて二人の者は、その夜フラリと家を出た。 江戸市中人心|
恟々 その翌日のことであるが、江戸市中は動揺した。日本堤の土手の上で、恐ろしい....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
沢山|驢馬に積んでラサ府へ売りに来たそうです。ところがこの立派な法王の宮殿を見て
恟然呆気に取られ、これは神の国の御殿ではないか知らんと暫くはぽかんとして見惚れて....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
で、何のくらい私共は困るか知れやせん」 小「おい長次さん何うしたんだ」 長「あゝ
恟りした、後から突然に突ッついちゃアいけねえ」 小「おまえくらい怠ける髪結はない....