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「恵那〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

恵那の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
セメント樽の中の手紙」より 著者:葉山嘉樹
ら、彼の長屋へ帰って行った。発電所は八分通り出来上っていた。夕暗に聳《そび》える恵那山《えなさん》は真っ白に雪を被《かぶ》っていた。汗ばんだ体は、急に凍《こご》....
単独行」より 著者:加藤文太郎
る、南は宝剣、前駒ヶ岳、南駒ヶ岳等互いに譲らず、三沢岳右に出で主脈をにらみ、遠く恵那山にいたるまで蜿々たり、実に日本アルプスの中屈指の眺望よきところならむ、幸い....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
しの看板を軒に掛けて、往来の客を待つ御休処もある。山の中とは言いながら、広い空は恵那山のふもとの方にひらけて、美濃の平野を望むことのできるような位置にもある。な....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
岩石がはい出して来ていて、広い美濃の盆地の眺望は谷の下の方にひらけている。もはや恵那山の連峰へも一度雪が来て、また溶けて行った。その大きな傾斜の望まれるところま....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
。どうかすると夜中に大雨が来て、谷々の雪はあらかた溶けて行った。わずかに美濃境の恵那山の方に、その高い山間の谿谷に残った雪が矢の根の形に白く望まれるころである。....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
行き届いた薄暗い部屋がそこにあった。 青山家代々の位牌は皆そこに集まっている。恵那山のふもとに馬籠の村を開拓したり、万福寺を建立したりしたという青山の先祖は、....
」より 著者:島崎藤村
であった。七年の月日の間に数えるほどしか離れられてなかった今の住居から離れ、あの恵那山の見えるような静かな田舎に身を置いて、深いため息でも吐いて来たいと思う事も....
分配」より 著者:島崎藤村
るよ。」 私たちが次郎を郷里のほうへ送り出したのは、過ぐる年の秋にあたる。あの恵那山の見える山地のほうから、次郎はかなり土くさい画を提げて出て来た。この次郎は....
白峰山脈縦断記」より 著者:小島烏水
たが、木曾駒ヶ岳は、雪の荒縞を着ながらも、その膚の碧は、透き通るように柔らかだ、恵那山もその脈の南に当って、雄大に聳えている。 もう「こっちのものだ」という、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
へ向いて見な、ええと、あれが江州の伊吹山さ、それからそれ、美濃の養老山、金華山、恵那山……」 道庵も名古屋城頭の経験から、もはや相当に地図を頭に入れて置くと見....
あなたも私も」より 著者:久生十蘭
、むかしの夢を忘れきれない。もういちど大きく乗りだしたいと焦《あせ》っている……恵那《えな》のウラニウムの試掘の件で、秋川にまとまった金をだしてもらいたいのだが....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
のらしいとある。また野崎君の報告によると、大野・吉城の二郡から、益田郡及び美濃の恵那郡の一部にまで散在し、信州の西部にも少しはあるという。これは犬神筋や狐持と同....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
彼の漂泊は二十八歳の弘治元年から始まっている。その年、美濃の斎藤氏の一族の乱で、恵那の明智城を墜され、それまで、身を寄せていた叔父の子、明智光春と一緒に、山越え....
雲霧閻魔帳」より 著者:吉川英治
這ってきた。父の肩にしっかりと縋れッ」 朝霧に、夕霧に、一日まし、秋は蕭殺と、恵那の高原から、人間の通う峠へも下りてくる。 もう一年余りは過ぎた。――先はま....
野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
志摩磯郡 ジロヤサブロウ 伊勢|相可 ジロウタロウ 美濃|恵那郡 美濃の苗木などでは普通にはスモトリバナで、白花の菫をジロバナ、これに対....