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悪源太
「悪源太〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
悪源太の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
彼はブラツデーネスになったに相違ない。そうして明治三十二年の秋に、明治座で史劇「
悪源太」を上場することになった。俳優は初代の左団次一座であった。続いて三十四年の....
「花吹雪」より 著者:太宰治
氏の人たちが武術に於いて、ずば抜けて強かったからである。頼光をはじめ、鎮西八郎、
悪源太義平などの武勇に就いては知らぬ人も無いだろうが、あの、八幡太郎義家でも、そ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
頼は重盛に馳向われて逃出して終《しま》った。あの様な見崩れ人種が大将では、義朝や
悪源太が何程働いたとて勝味は無い。鞭声《べんせい》粛々夜河を渡った彼《か》の猛烈....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
らなければならない。白水を渡るには、籠の渡しよりほかは術《すべ》がない。 昔、
悪源太義平に愛せられていた八重菊、八重里の二人の姉妹が、
悪源太が捕われてのち、越....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
馬鹿の骨頂だが、あんまり身分が違っても楽じゃないわねえ。 まあ、飛騨の国でも、
悪源太義平公に可愛がられたばっかりで、八重菊、八重牡丹の二人の姉妹が、籠《かご》....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
や、加賀の白山、白水谷には、これでなかなか隠れたる美人が多いとのこと。伝え聞く、
悪源太義平の寵愛《ちょうあい》を受けた八重菊、八重牡丹の姉妹は、都にも稀れなる尤....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
山岡は静山《せいざん》といって、日本一の槍の名人さ――とにかく飛騨の高山は、昔、
悪源太義平、加藤光正、上総介《かずさのすけ》忠輝といったような毛色の変った大物が....
「牛若と弁慶」より 著者:楠山正雄
一 むかし源氏と平家が戦争をして、お互いに勝ったり負けたりしていた時のことでした。源氏の大将義朝には、
悪源太義平や頼朝のほかに今若、乙若、牛若、という三|人の子供がありました。ちょう....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
懸けてあるのは、本来が野士といって武士の名残――わけても秩父香具師は源氏の正統、
悪源太義平から来ていると、自他共に信じているそれだけあって、普通の農家と異ってい....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
三円五十銭 その頃の戯曲界 坪内博士の新史劇――戯曲は雑誌でもお断わり――新作「
悪源太」――不入の間――新作「上杉謙信」 自作初演の思い出 三人合作の二番目――....
「時勢と道徳観念」より 著者:喜田貞吉
海賊大将軍の後裔が、祖先の武功を後に伝えて大名となっているものも珍らしくはない。
悪源太義平・悪七兵衛景清は、ともにその叔父を殺したので「悪」の名を得たと解せられ....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
にて箱根に死す、十六歳。子供芝居の座頭なり。 ○十月、明治座にて松居松葉の史劇「
悪源太」を初演。劇場以外の文士の作を舞台に上せたる嚆矢にて、左団次が
悪源太に扮す....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
儂の言いすぎ。つゆ、そのような疑いは持たぬ。また、悪党楠木とご卑下だが、悪左府、
悪源太、悪七兵衛、それもよからずや、と申しあげたい。――ともあれ、笠置の主上には....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
ふた色に住んでいます。しかも今、源氏の棟梁源ノ義朝は、中央の争覇にやぶれて、子の
悪源太義平や頼朝や数騎の幕僚のみをつれて、やっと血路をひらき、二十六日の夜から朝....