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愧
「愧〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
愧の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
、御出でになる方々が、皆風流の才子ばかりでいらっしゃいますから、さすがに御身を御
愧《おは》じになって、自然御み足が遠くなってしまうのでございます。
その代りま....
「義血侠血」より 著者:泉鏡花
へ住み込んで、馭者となった。それでまず活計《くらし》を立てているという、まことに
愧《は》ずかしい次第さ。しかし、私だってまさか馬方で果てる了簡《りょうけん》でも....
「高野聖」より 著者:泉鏡花
|懐《なつか》しゅうございます、厭《いや》じゃないかね、お前達と友達をみたようで
愧《はずか》しい、あれいけませんよ。)
蟇はのさのさとまた草を分けて入った、婦....
「野菊の墓」より 著者:伊藤左千夫
多いし且《かつ》は意味あって僕の所へゆくであろうと思われたと気がついたか、非常に
愧《は》じ入った様子に、顔真赤にして俯向《うつむ》いている。常は母に少し位小言云....
「春の潮」より 著者:伊藤左千夫
どうしたって省作を憎むのは憎む方が悪いとしか思われぬ。省作は到底春の人である。慚
愧不安の境涯にあってもなお悠々迫らぬ趣がある。省作は泣いても春雨の曇りであって雪....
「春昼」より 著者:泉鏡花
々々、今夜お忍か。) (勿論、) と答えて、頭のあたりをざぶざぶと、仰いで天に
愧じざる顔色でありました。が、日頃の行いから察して、如何に、思死をすればとて、い....
「唄立山心中一曲」より 著者:泉鏡花
もなりませんでした。ああ、全く魔のごとき残虐にも、美しいものは滅びません。私は慚
愧します。しかし、貴下と縫子とで、どんなにもお話合のつきますように、私に三日先立....
「沼夫人」より 著者:泉鏡花
も異だがね、一人の時は危険だよ。」 わざと話に、一人なる語を交えて、小松原が慚
愧の念を打消そうとするつもりだった。 ところが案外! この情に、太く動かされた....
「阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
方を教えた。 「わたし、……わたしは……字を知りません」阿Qは筆をむんずと掴んで
愧かしそうに、恐る恐る言った。 「ではお前のやりいいように丸でも一つ書くんだね」....
「狂人日記」より 著者:井上紅梅
やはり虫ケラだ。この人を食う人達は人を食わぬ人達に比べてみると、いかにも忌わしい
愧ずべき者ではないか。おそらく虫ケラが猿に劣るよりももっと甚だしい。 易牙が彼....
「些細な事件」より 著者:井上紅梅
つもわたしの眼の前に浮んで、時に依るとかえっていっそう明かになり、わたしをして慚
愧《ざんき》せしめ、わたしをして日々に新たならしめ、同時にまたわたしの勇気と希望を増進する。 (一九二〇年七月)....
「白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
んです――いや、どうも、若気の過失、やがての後悔、正面、あなたと向い合っては、慙
愧のいたりなんですが、私ばかりではありません。そのころの血気な徒は、素人も、堅気....
「河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
ものの人十倍、心のひがむを、疾なりとて、神にも人にも許さるべしや。)と追つけ、慚
愧後悔をするのです。 能登では、産婦のまだ七十五日を過ぎないものを、(あの姉さ....
「三枚続」より 著者:泉鏡花
して頼みましたぜ、この愛的の母親が、およそ江戸市中広しといえども、私が口から小可
愧くもなく意見が出来ようというなあ、その役介者ばかりでさ、昔だと賭場の上へ裸でひ....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
平生に似ず言もしどろで、はじめの気焔が、述懐となり、後悔となり、懺悔となり、慚
愧となり、果は独言となる。 体温器がばたりと落ちた。 かけ忘れて寝着の懐にず....