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慈眼
「慈眼〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
慈眼の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
また信玄一流の大きさで、飯綱の法を行ったかどうか知らぬが、甲州|八代郡|末木村|
慈眼寺に、同寺から高野へ送った武田家品物の目録書の稿の中に、飯縄本尊|并に法次第....
「もの思う葦」より 著者:太宰治
いまになりては、いずれも佳きことをしたと思うだけで、格別、真淵をうらまない。 「
慈眼。」というのは亡兄の遺作(へんな仏像)に亡兄みずから附したる名前であって、そ....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
前に剥げ膳が据えられ、茶碗の水には落葉が二枚浮いて居ました。白木の位配に「新円寂
慈眼院恵光大姉」と書いてあります。
慈眼院恵光大姉――其処に現われた有無の皮肉に、....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
うじ》の宝物でござったかナ?」 「は」 主水正は、かしこまって、 「そのほか、
慈眼大師《じげんだいし》の銅製《どうせい》誕生仏《たんじょうぶつ》、釈尊《しゃく....
「武州喜多院」より 著者:中里介山
いうことだ。 それから空濠の上の小山を辿って行くと、巨大な石塔がある。 南无
慈眼大師 〈寛永二十之天十月二日寂〉 と彫んである、即ち天海大僧正の墓だ。 ....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
。 「銀行家にしようと思うのだが――」 と、あの舞台では睨《にら》みのきく眼が、
慈眼というように柔和になって、楽屋では、これも大町人か、それこそ、そのころの、あ....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
に両々相待って火花の散るような壮観を呈したのを覚えている、長身偉躯にして白髪白髯
慈眼人を射るブース大将の飾らざる雄弁を引き受けて短躯小身なる山室軍平氏が息をもつ....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
にのぞみ、一場のあいさつを述べたのであるが、次郎は、仏像の眼を思わせるようなその
慈眼と、清潔であたたかい血の色を浮かしたその豊頬とに、まず心をひきつけられ、さら....
「モルガンお雪」より 著者:長谷川時雨
広い額の下に、ふっくらした眼瞼《まぶた》に守られた、きれ長な、細い、長い眼が――
慈眼そのもののような眼もとが、モルガンが日本で見た、白磁の観世音《かんぜおん》の....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
阿古十郎の顔を凝視《みつ》めていたが、呟くような声で、 「はあ、いかさま、な!」
慈眼ともいうべき穏かな眼なのだが、瞳の中からはげしい光がかがやき出して、顎十郎の....
「三枚続」より 著者:泉鏡花
ささか性格において矛盾するようであるが、これをいう前に、その和のある優しい一双の
慈眼を(はあ、)と同時に糸のように細うしてあたかも眠るがごとくに装うことを断って....
「本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
で、かく云うのだと称している。福島県|耶麻《やま》郡|熱塩《あつしお》村に五峰山
慈眼寺と云うがある。僧空海の開基したと伝える巨刹で、境内に人掛松《ひとかけまつ》....
「法然行伝」より 著者:中里介山
るわいと忽《たちま》ち皇円阿闍梨の許を辞して黒谷《くろだに》の西塔《さいとう》、
慈眼房叡空《じげんぼうえいくう》の庵に投じた。これは久安六年九月十二日、法然十八....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
の上に見物した時、僕の恋愛を感じたものは浦里よりもむしろ禿だった。)この寺は――
慈眼寺という日蓮宗の寺は、震災よりも何年か前に染井の墓地のあたりに移転している。....
「大岡越前」より 著者:吉川英治
、大釜からは熾んなる湯気が立ちのぼっている。 傍らの、古木綿の幟には、墨で――
慈眼視衆生 例年正月|大施粥 同苦坊 と、....