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慶
「慶〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
慶の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「文章」より 著者:芥川竜之介
つき》に一篇ずつは短い小説を発表して来た。その一つ、――サン・クリストフの伝説を
慶長版《けいちょうばん》の伊曾保物語《いそぽものがたり》風にちょうど半分ばかり書....
「伝吉の敵打ち」より 著者:芥川竜之介
伝吉はその後《のち》家富み栄え、楽しい晩年を送りました。積善《せきぜん》の家に余
慶《よけい》ありとは誠にこの事でありましょう。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》。南....
「春」より 著者:芥川竜之介
可笑しいのよ。じゃあと、――じゃこうして下さらない? 大村は明後日《あさって》表
慶館《ひょうけいかん》へ画を見に行《ゆ》くことになっているの。その時刻に姉さんも....
「一夕話」より 著者:芥川竜之介
?」
「若槻《わかつき》という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応《けいおう》か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じ....
「煙管」より 著者:芥川竜之介
…
古老《ころう》の伝える所によると、前田家では斉広以後、斉泰《なりやす》も、
慶寧《よしやす》も、煙管は皆真鍮のものを用いたそうである、事によると、これは、金....
「或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
のめのめと我々の前へ面《つら》をさらした上に、御|本望《ほんもう》を遂げられ、大
慶の至りなどと云うのですからな。」
「高田も高田じゃが、小山田庄左衛門《おやまだ....
「秋山図」より 著者:芥川竜之介
ゅうざん》を尋ねてご覧《らん》なさい。あれがもう一度世に出れば、画苑《がえん》の
慶事《けいじ》ですよ」と言うのです。
私ももちろん望むところですから、早速翁を....
「忠義」より 著者:芥川竜之介
れいぶん》があったのは、数えるまでもない。その弟の主水重昌《もんどしげまさ》は、
慶長十九年大阪冬の陣の和が媾《こう》ぜられた時に、判元見届《はんもとみとどけ》の....
「或る女」より 著者:有島武郎
なそれは疲れかただった。今にも破裂するように心臓が鼓動した。
「ちょっと待って弁
慶蟹《べんけいがに》を踏みつけそうで歩けやしませんわ」
そう葉子は申しわけらし....
「宣言一つ」より 著者:有島武郎
なしにでも進むところに進んで行きつつあるのだ。
今後第四階級者にも資本王国の余
慶が均霑《きんてん》されて、労働者がクロポトキン、マルクスその他の深奥な生活原理....
「江戸か東京か」より 著者:淡島寒月
も何もありませんよ。その上子供の時の事ですから、年代などは忘れてしまってる。元治
慶応明治の初年から十五、六年までの間です。私が住っていた近くの、浅草から両国|馬....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
を私に手渡し、 『これは由緒ある御方から母が拝領の懐剣であるが、そなたの一|生の
慶事の紀念に、守刀としてお譲りします。肌身離さず大切に所持してもらいます……。』....
「梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
売りがいたものだった。中で一番記憶に残っているのは細工飴の店で、大きな瓢箪や橋弁
慶なぞを飴でこしらえて、買いに来たものは籤を引かせて、当ったものにそれを遣るとい....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
れた。父は『政治家というものは財産をスリ減らして家をつぶすのがオチだ、実業家か、
慶応の医科に入って医者になれ』という。その反動からどうせ一度は兵隊に行くのだから....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
陸海空軍の協同が要望せられる。この頃そのために各種の努力が払われているらしく誠に
慶賀の至りに堪えない。器材方面では既に密接な協力が行なわれているであろうし、また....