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慶喜
「慶喜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
慶喜の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「婦系図」より 著者:泉鏡花
ら。へい、そして静岡だってね。」 「ああ、」 「と御維新|以来、江戸児の親分の、
慶喜様が行っていた処だ。第一かく申すめの公も、江戸城を明渡しの、落人を極めた時分....
「乱世」より 著者:菊池寛
郷へ辿りついたのである。従って、彼は敗戦についてもっと詳しい知らせを持っていた。
慶喜公が、藩主越中守、会津侯、その他わずか数名の近侍のものと、夜中潜かに軍艦に投....
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
幕府をしてその終りを全うせしむる意味で、大政奉還の止むなき所以を説いた建白書を、
慶喜に呈した。当時在京中の
慶喜悟る所あり、十月十三日在京の諸大名群臣を二条城に集....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
に応じて行かねばならぬ。徳川宗室を見渡したところ、その任に耐えそうなものは、一橋
慶喜のほかにない。ことに一代の声望並ぶもののないような水戸の御隠居が現にその父親....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
一帯の大森林もまたこの人の保護の下にある。 当時、将軍は上洛中で、後見職|一橋
慶喜をはじめ、会津藩主松平|容保なぞはいずれも西にあり、江戸の留守役を引き受ける....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の日を迎えてまだ間もない神戸|三宮に突発した。しかも、京都新政府においては徳川|
慶喜征討令を発し、征討府を建て、熾仁親王をその大総督に任じ、勤王の諸侯に兵を率い....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
い窓の下だ。そこにある空気はまだ重かった。 こころみに、十五代将軍としての徳川
慶喜が置き土産とも言うべき改革の結果がこの街道にもあらわれて来る前までは、女は手....
「惜別」より 著者:太宰治
の原動力になったのである。この天地の公道に拠らざれば救国の法また無しと観じて将軍
慶喜公、まずすすんで恭順の意を表し、徳川幕府二百数十年、封建の諸大名も、先を争っ....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
最前の寺町の寺院へ上下共に暫く滞留した。そして世子は直に二条城に登城され、新将軍
慶喜公に謁見して右の事件を言上せられた。間もなく老中からの達しでは、その藩におい....
「開運の鼓」より 著者:国枝史郎
熱湯のように湧き立っていた。十五代続いた徳川家にようやく没落の悲運が来て、将軍|
慶喜は寛永寺に屏居し恭順の意を示している一方、幕臣達は隊を組んで安房、下総、会津....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
痛めた。そこで一通の建白書を作り、後藤象二郎、福岡孝悌、この二人の家臣をして将軍
慶喜に奉らしめ、平和に大政を奉還せしめ、令政をして一途に出でしめ、世界の大勢に順....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
会もなかったらしい。だいいち、日本人同士で戦うのを非常に残念がっていた人で、徳川
慶喜の旨をうけて、官軍の方に使いをしたこともあるんだ。そういう人だから、決してむ....
「増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
あって上野寛永寺境内にある霊廟には四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十五代
慶喜などが祀ってあるが、廟の建築などは、上野は遠く芝に及ばない。日光は家康と三代....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
葛桶を――じゃない――その陶器の床几をすっと立ちました。 (ええ、御近所だから、
慶喜様のお住居かも知れません。) (そう、) といって、お夏さんが空を仰いで見....
「俳句の作りよう」より 著者:高浜虚子
の先も浸るような光景であります。 鐘冴ゆる第六天をもどりけり 今日の新聞は徳川
慶喜公の薨去を報じています。徳川公の本邸は小石川の第六天にあります。あの辺は、夜....