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慶福
「慶福〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
慶福の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
方面まで異議のあろうはずもない。ところがこれには反対の説が出て、血統の近い紀州|
慶福を立てるのが世襲伝来の精神から見て正しいと唱え出した。その声は大奥の深い簾の....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
で続いて来た。慶喜の野心を疑う老中らは、ほとんど水戸の野心を疑う安政当時の紀州|
慶福擁立者たちに異ならなかった。老中らは慶喜の態度をもって、ことさらに幕府をくる....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
被遊」ということであったが、八日には忽ち薨去の公報が発せられ、家斉の孫紀伊宰相|
慶福が十三歳で嗣立した。家定の病は虎列拉であったそうである。 この頃抽斎は五百....
「平塚・山川・山田三女史に答う」より 著者:与謝野晶子
今の中層は自己生活の充実向上の施設を、動もすれば国家社会の手に委ね、それに依って
慶福を得んとしている。かかるは中層自らがその地位を捨てて下層と同じからんとする者....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
、国防上、次のようなものになる。即ち(一)道義的経済観念に立脚して国家国民全体の
慶福を増進すること、(二)国民全部に勤労に応ずる所得を得させること、(三)金融と....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
の仕事をしてなお余りある精力を示した人豪は、一日でも長く生き延びさせるだけ学界の
慶福であった。六十三という条、実はマダ還暦で、永眠する数日前までも頭脳は明晰で、....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
たためである。この転化を助けた契機に協調政治家阿部伊勢守の死による対立候補紀州|
慶福《よしとみ》擁立派|井伊《いい》大老の首相就任があり、基底に横たわるものにた....
「新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
るのをみて、ハラ/\して、店の者まで注意してくれたりした人だ。今もって御健勝の由
慶福のことである。服部時計店はやはり四丁目でないと板につかない。ここはもと私の家....