慶雲[語句情報] »
慶雲
「慶雲〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
慶雲の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
両面の人出ずる、天武天皇の御宇に丹波の山家より十二角の牛出ずる、文武天皇の御時、
慶雲四年六月十五日に、たけ八丈よこ一丈二尺一頭三面の鬼、異国より来る、かかる事ど....
「阿霞」より 著者:田中貢太郎
ていかした。阿霞は客を窺いて景を見つけ、それを憐んで鄭に訊いた。 「お客さんは景
慶雲ではありませんか。」 鄭はそこで阿霞にどうして知っているかと訊いた。阿霞は....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
た歌である。憶良は文武天皇の大宝元年、遣唐大使|粟田真人に少録として従い入唐し、
慶雲元年秋七月に帰朝したから、この歌は帰りの出帆近いころに作ったもののようである....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
治はなかなか思うようにいかなかったようです。ヒダと出羽に風が吹いた、とか、ヒダに
慶雲が現れた、とか、一喜一憂で、(気象台にきかなくたってヒダと出羽にだけ大風が吹....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
王下といったものです。 停車場の向う側は山下町、その先の御徒町の電車通りの角に
慶雲寺がある。この寺は市川小団次の寺で法華宗です。山の上では今|常磐花壇のある所....
「穀神としての牛に関する民俗」より 著者:中山太郎
また黄色の土牛を立て加ふるは、中央土の色なり。木火金水に土は離れぬことわりあり。
慶雲二年天下疫癘|盛《さかん》にして、百姓多くうせたりしかば、土牛を造り追儺《つ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
いて思い合わせることは、「浄行僧」あるいは「清行僧」という語のあったことで、早く
慶雲二年六月に「京畿内の浄行僧九人を選び山房に住せしむと『続日本紀』にある。ただ....