» 

「慷〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

慷の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
毛利先生」より 著者:芥川竜之介
左右には、昔、島崎藤村《しまざきとうそん》が「もっと頭《かしら》をあげて歩け」と慨《こうがい》した、下級官吏らしい人々が、まだ漂《ただよ》っている黄昏《たそが....
或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
ていますて。」 忠左衛門は、眉をあげて、賛同を求めるように、堀部弥兵衛を見た。慨家《こうがいか》の弥兵衛は、もとより黙っていない。 「引き上げの朝、彼奴《き....
船医の立場」より 著者:菊池寛
! やりおる! やりおる! あのように皇国《みくに》の海を人もなげに走りおる!」慨家《こうがいか》の金子は、翼なき身を口惜しむように、足摺《あしず》りしながら....
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
ができないからして、種子《たね》だけを播《ま》いて逝こう、「われは恨みを抱いて、慨《こうがい》を抱いて地下に下らんとすれども、汝らわれの後に来る人々よ、折あら....
乱世」より 著者:菊池寛
かの感情に激すると、臆病者でもかなり潔く死ぬことがある。忠君とか愛国とか憤怒とか慨とか、そうした感激で、人は潔く死ねる。が、そうした感激がなく、死が素面で人間....
俊寛」より 著者:菊池寛
敗者として、清盛を罵り、平家の一門を呪い、陰謀の周密でなかったことを後悔し、悲憤慨に夜を徹することが多かった。が、一月、二月経つうちに、そうした悲憤慨が、結....
自叙伝」より 著者:大杉栄
右衛門のはりつけだった。というよりもむしろ、そのはりつけの図に題した、誰だかの「慨赴死易、従容就死難」という文字だった。 「よし、俺も従容として死に就いて見せ....
食魔」より 著者:岡本かの子
与えながら昔日の尊敬を忘れ去り、学商呼ばわりする世情を、気狂いのようになって悲憤慨することもある。そんな不平の反動も混って蛍雪の喰べものへの執し方が激しくなっ....
山崎合戦」より 著者:菊池寛
襲撃は、物の見事に成功した。信忠まで、二条城で父に殉じた。太田錦城と云う漢学者は慨の士だが、信忠がこんなときに逃げないのは無智の耻を耻じているので犬死だと云っ....
近時政論考」より 著者:陸羯南
理を証明して人心を教化するところの学者はすでに政論壇上を退きたり。政論の事ついに慨志士の社会に移りたるはこれを第二期政論派の特色なりと言うべきなり。当時世に有....
「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
であった。ではあるが、わたしの麻酔法はこの時すでに功を奏して、もはや再び若き日の慨激越がなくなった。 S会館の内に三間の部屋がある。言い伝えに拠ると、そのむ....
四十年前」より 著者:内田魯庵
いて挂冠したが、潮の如くに押寄せると民論は益々政府に肉迫し、易水剣を按ずる壮士は慨激越して物情|洶々、帝都は今にも革命の巷とならんとする如き混乱に陥った。 ....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
詩も歌もできないね。小唄ぐらいはどうだか知らないが、どうしても観照に罅が入るね。慨激越の詩ならとにかく、精確な写実をやる時は酒に酔った感覚では駄目だ。心は鏡の....
エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
せられた際に、エタ一人の生命が平民の七分の一に相当するとの判決例のあるのを見て、慨悲憤の念を起された為であったという。実際彼らは、為政者から普通民の七分の一し....
融和促進」より 著者:喜田貞吉
いても、この点を深く考えねばなりません。いたずらに世間の差別待遇の罪を責め、悲憤慨することのみでは、真の解放と融和とは求め得がたいのであります。 ここにおい....