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懿
「懿〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
懿の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「運命」より 著者:幸田露伴
べるありしが為ならずばあらず。 建文皇帝|諱は允※、太祖高皇帝の嫡孫なり。御父
懿文太子、太祖に紹ぎたもうべかりしが、不幸にして世を早うしたまいぬ。太祖時に御齢....
「魚玄機」より 著者:森鴎外
たかと云うと、そうではない。平生|粧を凝し容を冶っていたのである。獄に下った時は
懿宗の咸通九年で、玄機は恰も二十六歳になっていた。 玄機が長安人士の間に知られ....
「連環記」より 著者:幸田露伴
蘇州節度使だった時、真宗の賜わった詩に、 践歴 功皆|著しく、諮詢 務必ず成す。
懿才 曩彦に符し、佳器 時英を貫く。 よく経綸の業を展べ、旋陞る輔弼の栄。 嘉享....
「古事記」より 著者:太安万侶
、妹君はハヘイロドです。この天皇の御年四十九歳、御陵は畝傍山のミホトにあります。
懿徳《いとく》天皇 オホヤマト彦スキトモの命(
懿徳天皇)、大和の輕《かる》の境....
「三国志」より 著者:吉川英治
この頃である。わけて出色な人事と評されたのは、主簿司馬朗の弟で、河内温の人、司馬
懿、字を仲達というものが、文学掾として、登用されたことだった。 その司馬仲達は....
「三国志」より 著者:吉川英治
将から成都へ頻々と援軍が求められた。 ほどなく、劉璋の嫡子|劉循、その祖父|呉
懿、二万余騎をひきいて、※城へ援けにきた。この軍のうちには、蜀軍の常勝王といわれ....
「三国志」より 著者:吉川英治
の会議でも、関羽の名を恐れおびえた人々は、早くも魏王宮の遷都説まで叫んだが、司馬
懿仲達が立って、その不可を論じ、 「要するに、こんどの大敗は、魏軍が弱かったので....
「三国志」より 著者:吉川英治
水もあわせ陥し、三郡の攻略を完璧にしなければならない」と、いった。 南安には呉
懿をとどめ、安定の守りに劉※を派して、魏延と交代させ、全軍の装備を新たにして、天....
「三国志」より 著者:吉川英治
て、認めていたからであったろう。 十三年四月。 ※が代って就任した。また、呉
懿が新たに車騎将軍となって、漢中を総督することになった。 遠征軍の大部分は引揚....