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戎
「戎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
戎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「土曜夫人」より 著者:織田作之助
分になったのだ。そんな自分が不思議でならなかった。 夏子の夫は歯科医で、大阪の
戎橋附近の小さなビルの一室を診療所に借りて、毎日蘆屋から通っていた。夏子は歯科医....
「放浪」より 著者:織田作之助
なった。道頓堀の方へ渡るゴーストップで交通巡査にきびしい注意をうけた。道頓堀から
戎橋を渡り心斎橋筋を歩いた。一軒一軒飾窓を覗きまわったので疲れ、ひきかえして
戎橋....
「青春の逆説」より 著者:織田作之助
っと、洋さん」声掛けられて急いで通り抜けて行った。前方には光が眩しく流れていて、
戎橋筋だった。その光の流れはこちらへも向うの横丁へも流れて行かず、筧を流れる水が....
「世相」より 著者:織田作之助
ている)この男を配すれば一代女の模倣にならぬかも知れないと、呟き乍ら宗右衛門町を
戎橋の方へ折れた。橋の北詰の交番の前を通ると、巡査がじろりと見た。橋の下を赤い提....
「蠅男」より 著者:海野十三
るはずだっせ。そこに警戒本部が出張してきとりますのや」 うちの署長というのは、
戎署のことをいうのであろう。天王寺公園や新世界は、この
戎署の管轄だった。 帆村....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
、これを宮中に養うこととし、瓠と盤とにちなんで盤瓠と名づけていた。 その当時、
戎呉という胡の勢力が盛んで、しばしば国境を犯すので、諸将をつかわして征討を試みて....
「大阪発見」より 著者:織田作之助
寮人さんの場合どうなったか、私は知る由もないが、しかし彼女が時時憤然たる顔をして
戎橋の「月ヶ瀬」というしるこ屋にはいっているのを私は見受けるのである。「月ヶ瀬」....
「琵琶伝」より 著者:泉鏡花
謂うことも、永き夏の日に尽きざるに、帰営の時刻迫りたれば、謙三郎は、ひしひしと、
戎衣を装い、まさに辞し去らんとして躊躇しつ。 書斎に品あり、衣兜に容るるを忘れ....
「アド・バルーン」より 著者:織田作之助
筋まで伸びていたが、玉子は心斎橋筋の角まで来ると、ひょいと南へ曲りました。そして
戎橋を越え、橋の南詰を道頓堀へ折れ、浪花座の前を通り、中座の前を過ぎ、角座の横の....
「雨」より 著者:織田作之助
横丁だった。何か胸に痛いような薄暗さと思われた。前方に光が眩しく横に流れていて、
戎橋筋だった。その光の流れはこちらへも向うの横丁へも流れて行かず、筧を流れる水が....
「四月馬鹿」より 著者:織田作之助
筈だ。ますます私の本意ではない。 一 武田さんのことを書く。 ――
戎橋を一人の汚ない男がせかせかと渡って行った。 その男は誇張していえば「大阪で....
「神経」より 著者:織田作之助
答えた。南というのは、大阪の人がよく「南へ行く」というその南のことで、心斎橋筋、
戎橋筋、道頓堀、千日前界隈をひっくるめていう。 その南が一夜のうちに焼失してし....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
に魂がはいって揚幕から花道にゆるぎ出た時、さらに花道の七三に坐って、例の“東夷西
戎南蛮北狄”の長台詞を朗々たる名調子で淀みなくつらねた時、わたしは満場の観客と共....
「俗臭」より 著者:織田作之助
げる。――ふん/\と聞いていたが、急にパッと駆け出した。道頓堀の雑閙をおしのけ、
戎橋を渡り、心斎橋筋の方を走った。今の自分に女は助け舟だが土左衛門みたいに助けて....
「放浪」より 著者:織田作之助
なった。道頓堀の方へ渡るゴーストップで駐在さんにきびしい注意をうけた。道頓堀から
戎橋を渡り心斎橋筋を歩いた。一軒々々飾窓を覗きまわったので疲れ、ひきかえして
戎橋....