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戦後
「戦後〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
戦後の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「デンマルク国の話」より 著者:内村鑑三
ざるときに、かかるときに国民の真の価値《ねうち》は判明するのであります。戦勝国の
戦後の経営はどんなつまらない政治家にもできます、国威宣揚にともなう事業の発展はど....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
用兵を研究し、ナポレオンの戦術をまねし出しました。さあそうなると、殊にモスコー敗
戦後は、遺憾ながらナポレオンはドイツの兵隊に容易には勝てなくなってしまいました。....
「金魚撩乱」より 著者:岡本かの子
説明だけの意味しか響くものがないのを聞いて復一は恥辱で顔を充血さした。 世界大
戦後、経済界の恐怖に捲込まれて真佐子の崖邸も、手痛い財政上の打撃を受けたという評....
「日本脱出記」より 著者:大杉栄
を待っていた。僕はロシアの実情を自分の目で見るとともに、さらにヨーロッパに廻って
戦後の混沌としている社会運動や労働運動の実際をも見たいと思った。 そこへ、突然....
「骸骨館」より 著者:海野十三
もきたならしい灰色に見せておくのは、そのアサヒ軍需興業の廃工場の群だった。 終
戦後その工場は解散となり、それからは荒れるままに放っておかれ、今日となった。同じ....
「二、〇〇〇年戦争」より 著者:海野十三
が、味方の損害は、極めて微々たる程度に喰い留ることが出来る。戦争を行って、しかも
戦後に兵力のうえで依然として世界を睨みつけるためには、この戦法に勝るものはない。....
「巴里のキャフェ」より 著者:岡本かの子
人、或は大通漫歩の人と訳すべきか)と呼ばれている巴里の遺物である。大体、戦前から
戦後にかけて彼の筆役勤務の現役を終えた文人であって、この付近に雑誌社、新聞社の巣....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
るに遇うて南軍に属し、一種の弾丸を発明しこれを使用してしばしば戦功を現わせしが、
戦後その身の閑なるがために所謂脾肉の嘆に堪えず、折柄渡来したる日本人に対し、もし....
「ドーヴィル物語」より 著者:岡本かの子
を費して叫んで来たが一向行われ無い。寧ろカジノは国内に増すばかりである。「世界大
戦後の財政の立直るまで」と云い訳して来た財務当局の口実も意味をなさぬ今日に於ては....
「金山揷話」より 著者:大鹿卓
私達はそれぞれをそれぞれの行路へと追い立てて来た。私達の卒業は同時にまた、欧洲大
戦後の鉱業界不況の真只中へ放り出された事だった。ながい不況時代のあとに来た満洲事....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
をすることが当然であるといわなければなりません。 最後に申し上げたいことは、終
戦後八年、内閣のかわる事八回、そのうち、吉田茂氏が内閣を組織すること四回でありま....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
というわけで、立候補十五回の当選十回は必ずしも悪い率ではないと思っている。とくに
戦後の選挙は安定性があったが、かけ出し時代の選挙はらくではなかった。 普選第一....
「最初の印象」より 著者:大倉燁子
ゃるのかも知れません。 先生を心から尊敬しほんとうに御親切な方だと思ったのは終
戦後です。私はお金をつかい果して困った揚句、突然先生のところへ伺って本の出版につ....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
たといえる。もっとも現在までの四十年間には、関東大震災、日本製紙の合併、第二次大
戦後の混乱とまだまだ多くの苦難が私を待ちうけていたが、三十歳までに味わったつらさ....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
精神は横隊戦術に於ては「専制」にして、散兵戦術にありては「自由」なり。 日露
戦後、射撃指揮を中隊長に回収せるは苦労性なる日本人の特性を表わす一例なり。もし散....