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戦捷
「戦捷〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
戦捷の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「田舎教師」より 著者:田山花袋
もあった。その日は第二軍が遼東半島に上陸した公報の来た日で、一週間ほど前の九連城
戦捷とともに人々の心はまったくそれに奪われてしまった。街道にも町にも国旗が軒ごと....
「縮図」より 著者:徳田秋声
四人と、廻船問屋筋の旦那衆につれられて、塩釜へ参詣したことがあった。塩釜は安産と
戦捷の神といわれ、お守りを受けに往くところだが、銀子たちには土地の民謡「はっとせ....
「足迹」より 著者:徳田秋声
が、それを訊こうとしても、無口な叔父はにやにや笑っていて、何事をも語らなかった。
戦捷後持ちあがったいろいろの事業熱が、そろそろ下火になって、一時浮き立った人の心....
「古き小画」より 著者:宮本百合子
に積上げられた食糧の大袋の山をよけ、彼方の天幕に戻った。 その晩イラン方では、
戦捷の前祝に簡単な祝宴が催された。大きな燎火が、澄んだ曠原の夜の空を一部分ボーッ....
「ヴェルダン」より 著者:野上豊一郎
ヴェルダンの町に入って第一にする仕事は食事をすませることだった。広い石段の上に
戦捷記念塔が高く聳えている。その石段の前にちょっとしたレストランがあった。ヴェル....
「文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
術を踏襲して、あまり新機軸を出したことも認められないが、しかも実際において立派な
戦捷を収めて、よく運用の妙を尽くしたのであった。日本人は如何なるものでも他から受....
「正月の思い出」より 著者:岡本綺堂
ては買手がないので、いずれも「勝った、買った」と呶鳴る勢いで、その勝った勝ったの
戦捷気分が新年に持越して、それに屠蘇気分が加わったのであるから、去年の下半季の不....
「澪標」より 著者:外村繁
暗い。祖父は奥から逆光線を受けて出て来たものであろう。更に母の話によると、日露の
戦捷を祝う草競馬が行われ、本家の桟敷が組まれ、その借用を願いに行った時のことであ....
「三国志」より 著者:吉川英治
数は、わずか七百騎ほどに過ぎなかったという。 その頃―― 夏口城の城楼には、
戦捷の凱歌が沸いていた。 張飛、趙雲、そのほかの士卒は、みな戦場から立帰って、....
「三国志」より 著者:吉川英治
忠や張著を救いだして、わが城砦へ帰っていた趙雲は、互いの無事をよろこび、きょうの
戦捷を賀して、 「思えば、危うい一戦だった」と、祝杯の用意を命じていた。 とこ....
「三国志」より 著者:吉川英治
争そのものの遂行も性格も全然違ってきたことが分る。すなわちかつてのように部分的な
戦捷や戦果を以ては、われ勝てりと、祝杯に酔ってはいられなくなったのである。いまや....
「三国志」より 著者:吉川英治
があった。 街亭の大捷は、魏の強大をいよいよ誇らしめた。魏の国内では、その頃|
戦捷気分に拍車をかけて、 「この際、蜀へ攻め入って、禍根を断て」 という輿論さ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
貴山毘沙門堂にある大塔ノ宮へも、洛中の千種忠顕へも、使いをたてて、つぶさにここの
戦捷を報告していた。 そして、彼の姿が、千早のとりでへ帰ってきた日は、あの河内....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
幸盛は、三十九歳の稜々たる骨がらの持主であった。 秀吉はいちど安土へ凱旋した。
戦捷報告をかねて、なお次の作戦段階に就いて、親しく信長の指示を仰ぐためであった。....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
所有する集結せる兵力のため反撃せらるる危険甚大で、追撃は通常行なわれず、徹底的な
戦捷の効果は求め難かった。 3、倉庫給養 三十年戦争には徴発に依る事が多かっ....