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戦災
「戦災〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
戦災の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
下を覗くためにこんなものを用いて居た。 ◯天皇陛下御|宸念。忝くも金一千万円也を
戦災者へ下賜せらる。 ◯賀陽宮、山階宮、東久邇宮の三宮家も御全焼。 ◯明治神宮本....
「一坪館」より 著者:海野十三
などこへ行ってしまったのだろうか。 「ほほう。ぼくが今ここに店を出したら、ぼくは
戦災後、復興の一番のりをするわけだ。よし今日中に店を出そう」 銀座復興の店開き....
「金属人間」より 著者:海野十三
だひとりであった。両親と弟妹《ていまい》の四人は、戦争中に疎開先《そかいさき》で
戦災《せんさい》にあって死に、東京で大学院学生兼助手をして残っていた、かれ左馬太....
「地獄の使者」より 著者:海野十三
んて見当らんです。しかし高橋の調べて来たのは本籍のある蒲田区役所のもので、あれは
戦災で原簿が焼けて新しく申告したものに拠っているんです。ですから厳密にいえば、ち....
「時計屋敷の秘密」より 著者:海野十三
のわけは、住宅難のこと、資材難のこと、物価がたいへん高くなったことなどのために、
戦災で焼けのこったありとあらゆるものが、新しい目で見直されることだった。 この....
「灰色の記憶」より 著者:久坂葉子
る術をすぐに覚え、彼から忽ち気に入られた。 その日から私は忠実ぶりを発揮した。
戦災にあって残った倉庫を改良し事務所にしているほこりっぽいところを、毎朝殆ど一人....
「華々しき瞬間」より 著者:久坂葉子
年前に、自分は関西の学習院と云われている阪神間の学校を卒業し、すぐに結婚、今は、
戦災にあった邸跡に、二軒家をたてて兄夫婦の家族と別棟に、住んでいる。里の両親は、....
「青鬼の褌を洗う女」より 著者:坂口安吾
さんという私の二ツ年下の娘が同居していた。戦争中は同じ会社の事務員だったのだが、
戦災で一挙に肉親を失った。久須美の秘書の田代さんというのが、久須美から資本をかり....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
になった鶴見には寒さは何よりも体にこたえる。湘南の地と呼ばれているものの、静岡で
戦災に遭って、辛い思いをして、去年の秋やっとこの鎌倉へ移って来たばかりか、静岡地....
「光は影を」より 著者:岸田国士
彼の家は、そこからあまり遠くない、清水町と呼ばれる新開住宅地のとつつきにあつた。
戦災をまぬがれた一画の、それでも、すべてが荒れるにまかせてある、わびしい生活のか....
「郷愁」より 著者:織田作之助
もその言う所はほとんど変らない。いわば世相の語り方に公式が出来ているのだ。敗戦、
戦災、失業、道義心の頽廃、軍閥の横暴、政治の無能。すべて当然のことであり、誰が考....
「アーニイ・パイルの前に立ちて」より 著者:小林一三
と言うべきか、何という無神経であるかと口惜しく思うのみである。 この破壊された
戦災地のあとには、仮小舎がそれからそれへと新築されて、まばゆき電灯のにぎやかな店....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
ので、昔東北の方から来る人たちは、そこで支度でもしたのでしょう。様子は変っても、
戦災前までありました。これは近年のことですが、その万金の側に食料品屋が出来て、屋....
「和製椿姫」より 著者:大倉燁子
品川の海を見晴した宏壮な邸も、主家の一部と離れの茶室だけが残って、あとは全部
戦災を受けていた。あの体面を気にかける彼が、まだ手入れもしないのはよくよくのこと....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
悪銭が道連れにしたのだから実に惜しい。のちに私は苦心して建てた工場を関東大震災や
戦災で失ったが、この七円のがま口ほどなくして惜しいと思ったことはない。しょんぼり....