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「戸人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

戸人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
代の自身番や家主制度を育てた習慣ではあるまいかと思われる。 とにかく大多数の江戸人が見ず知らずの赤の他人である中に、彼等ばかりは故郷たる町内を持っていた。その....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ので、盗んだ金をお堂の縁に置くと、再び歩かれるようになったそうだ」 奇を好む江戸人は眼を丸くして、その噂に耳をかたむけた。それが一種の宣伝になって、長谷寺の開....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
名を行人と呼ぶことになったという。そんな考証はしばらく措いて、目黒行人坂の名が江戸人にあまねく知られるようになったのは、明和年間の大火、いわゆる行人坂の火事以来....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
はあるまいという意味のことも書きのこしてあったという。 これらの刺客の多くが水戸人であることもわかって来た。いずれも三十歳前後の男ざかりで、中には十九歳の青年....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
を乗り越えて、その夜のうちに身を匿したという。これが当時の水戸の天狗連だ。 水戸人の持つこのたくましい攻撃力は敵としてその前にあらわれたすべてのものに向けられ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
派争いがほとんど宗教戦争に似ていて、成敗利害の外にあったことを思い出した。あの水戸人の持つたくましい攻撃力は敵としてその前にあらわれたすべてのものに向けられ、井....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
日本橋区の如く、区内の多数人士がことごとく多年その土地の住者で、すなわち生粋の江戸人の住んでいる所は、いわゆる老舗のみが信用あって、新店は信用が少ない。しかし本....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
火事と聞いて、迅速に駆け附けますと、それを手柄に勘当が許されたもの、全く火事は江戸人の重大視したものの最たるものであった。 俗に、火事を江戸の花とかいって興が....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
ったが、『八犬伝』の中心舞台は安房よりも江戸であって、事件が多くは江戸あるいは江戸人に親しみのある近国で発展したのが少なくも中央|都人士の興味を湧かさした原因の....
目黒の寺」より 著者:岡本綺堂
名を行人と呼ぶことになったという。そんな考証はしばらく措いて、目黒行人坂の名が江戸人にあまねく知られるようになったのは、明和年間の大火、いわゆる行人坂の火事以来....
いなせな縞の初鰹」より 著者:北大路魯山人
をつけて話を聞かなければなるまい。 冬から春にかけて、しびまぐろに飽きはてた江戸人、酒の肴に不向きなまぐろで辛抱してきたであろう江戸人……、肉のいたみやすいめ....
握り寿司の名人」より 著者:北大路魯山人
、とんと迎えられる様子もない。わたしは当然のことと、あえて訝しく思わない。蓋し江戸人と上方人との相違がある。 しかし、今日どこにでもある東京の握りを真似したい....
昆布とろ」より 著者:北大路魯山人
わけである。そして、これを自慢しいしい日常生活に堅く結びつけているのが大部分の江戸人であり、東京人である。それをとらえて、私が東京人の舌は杜撰であると言うのも、....
日本橋附近」より 著者:田山花袋
味がある。また詩にでもなりそうなひとつの楽しい光景であらねばならなかった。 江戸人とか江戸人の家庭とかいう感じは、本町の奥の方に行くとまだ余程多く残っているが....
新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
量生産のあるにもかかわらず上等の足袋を造るこれ等の店が栄えているのは、まだ/\江戸人の気質が残っている証拠で喜ばしいことの一つである。 鳩居堂がここへ移ったの....