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戸長
「戸長〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
戸長の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「高野聖」より 著者:泉鏡花
、としんみり子供にいい聞かせて病人を置いて行った。
後には子供一人、その時が、
戸長様《こちょうさま》の帳面前|年紀《とし》六ツ、親六十で児《こ》が二十《はたち....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
五石をあてがわれたが、それも前年度(明治五年)までで打ち切りとした。庄屋名主らは
戸長、副
戸長と改称され、土地人民に関することはすべてその取り扱いに変わり、輸送に....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
りみる暇もなかったような人である。この奔走が半蔵にとって容易でなかったというは、
戸長(旧|庄屋の改称)としての彼が遠からずやって来る地租改正を眼前に見て、助役相....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
十九日の事である。 この年の暮、優善が埼玉県出仕になってからの事である。某村の
戸長は野菜|一車を優善に献じたいといって持って来た。優善は「己は賄賂は取らぬぞ」....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
儲けとなった。故に鼠を福と称え殺すを禁じたと。『山州名勝志』二に、山城霊山辺の鼠
戸長者、鼠の隠れ里より宝を獲て富んだ話あり。これは伏蔵を掘り当てたのだろう。プリ....
「姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
た。鶴岡市の郊外に、大宝寺村というのがある。栄之助は明治になってから、大宝寺村の
戸長、次に村長となって一生を終わった。まことに柔和な人品の高い、釣りの名人であっ....
「ながうた勧進帳」より 著者:酒井嘉七
いた上方唄が、いつしか、江戸前に変化し、その基礎をなしたことに疑いはない。……江
戸長唄なる称呼が、判然と芝居番附に掲げられたのは、宝永元年のことである」 しか....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
するをもって足れりとす。もし寺院にて結婚することを好まざるものは、区役所もしくは
戸長役場を経て結婚を執行することあり。これをシビル・マリッジという。 国教の制....
「新撰組」より 著者:服部之総
てのものがここにもまた馳せ参じていた。文武道場の主として民間に覇を称えた者も、水
戸長州等東西南北の脱藩士も、地主層出身も、「甲斐《かい》の祐天《ゆうてん》」事山....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
げて来た極道者も、おととい牢屋から出て来た入墨者もいるが――それが弥次兵衛という
戸長の下に、大家族式な生活を営み、ざッかけない、粗っぽい、極めて不しだらな――中....
「三国志」より 著者:吉川英治
げてきた。 許都を中心に、屯田策を採用し、地方の良民のうえに、さらに人望のある
戸長を用い、各州郡に田官というものをおいて、その単位を組織し善導し、大いに農耕を....