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所以
「所以〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
所以の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「羅生門の後に」より 著者:芥川竜之介
うならなくとも亦《また》必ずしも満足でない事はない。敢《あえ》て同人に語を寄せる
所以《ゆえん》である。
大正六年五月
芥川龍之介....
「文章」より 著者:芥川竜之介
ば、この楽天家の中尉の頭に変態性慾《へんたいせいよく》の莫迦莫迦《ばかばか》しい
所以《ゆえん》を刻《きざ》みつけてしまうことは不可能だからである。……
保吉は....
「大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
もちろん》こう言う町々に憂欝《ゆううつ》を感ぜずにはいられなかった。しかし又、本
所以外の町々は更に彼には不快だった。しもた家の多い山の手を始め小綺麗《こぎれい》....
「十円札」より 著者:芥川竜之介
はただ粟野さんの前に彼自身の威厳《いげん》を保ちたいのである。もっとも威厳を保つ
所以《ゆえん》は借りた金を返すよりほかに存在しないと云う訣《わけ》ではない。もし....
「煙管」より 著者:芥川竜之介
はない。彼はそう云う煙管を日常口にし得る彼自身の勢力が、他の諸侯に比して、優越な
所以《ゆえん》を悦んだのである。つまり、彼は、加州百万石が金無垢の煙管になって、....
「毛利先生」より 著者:芥川竜之介
思い出すと、結局|名乗《なのり》なぞはあげない方が、遥《はるか》に先生を尊敬する
所以《ゆえん》だと思い直した。そこで珈琲《コオヒイ》が尽きたのを機会《しお》にし....
「貉」より 著者:芥川竜之介
ずるものの命ずるままに我々の生き方を生きようではないか。
貉を軽蔑すべからざる
所以《ゆえん》である。
(大正六年三月)....
「捨児」より 著者:芥川竜之介
いますが、――時々和漢の故事を引いて、親子の恩愛を忘れぬ事が、即ち仏恩をも報ずる
所以《ゆえん》だ、と懇《ねんごろ》に話して聞かせたそうです。が、説教日は度々めぐ....
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
賞され得る多面性を具えているのであろう。
古典
古典の作者の幸福なる
所以《ゆえん》は兎《と》に角《かく》彼等の死んでいることである。
又
....
「保吉の手帳から」より 著者:芥川竜之介
秘の扉《とびら》は俗人の思うほど、開《ひら》き難いものではない。むしろその恐しい
所以《ゆえん》は容易《ようい》に閉じ難いところにある。ああ云うものには手を触《ふ....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
準備が要る。これは不変の鉄則である。資格が備わりてからの進歩である。忍耐が大切な
所以である。 問『心の迷、実証の困難、僻見の跋扈等をいかにすべきか? 果してこれ....
「久保田万太郎氏」より 著者:芥川竜之介
人公も、常にこの頑固さ加減を失う能わず。これ又チエホフの主人公と、面目を異にする
所以なり。久保田君と君の主人公とは、撓めんと欲すれば撓むることを得れども、折るこ....
「恒藤恭氏」より 著者:芥川竜之介
し水彩画中、最も僕の記憶にあるものは冬枯れの躑躅を写せるものなり。但し記憶にある
所以は不幸にも画の妙にあらず。躑躅だと説明される迄は牛だとばかり思っていた故なり....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
があっていいのではないかと思う。しかしそういう考え方が「まあまあ居士」と言われる
所以かもしれない。社会党の如き大衆団体の中にはまとめ役とも称す可きものはあっても....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
は意味を成していないかも知れない。しかしなぜか両国は本所区のうちにあるものの、本
所以外の土地の空気も漂っていることは確かである。そこでO君とも相談の上、ちょっと....