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「所司代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

所司代の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠義」より 著者:芥川竜之介
》を受けた事のない名家である。二代又左衛門|重宗《しげむね》が、父の跡をうけて、所司代《しょしだい》として令聞《れいぶん》があったのは、数えるまでもない。その弟....
鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
らが次第に繁昌して、柳町の柳の影も薄れてゆく憂いがあるので、柳町の者どもは京都|所司代《しょしだい》にしばしば願書をささげて、隠し売女の取締りを訴えたが、名奉行....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
だ。どなたのお道中だと思ってるんだ。珠数屋《じゅずや》の大尽がお通りじゃねえか!所司代様だっても関白様だっても、お大尽にゃ一目おく程の御威勢なんだ。どきなどきな....
仇討三態」より 著者:菊池寛
弟が、ようやく兄を慰めて、郷里の新発田へ帰って来た。弟は、京都を立つ前、ひそかに所司代へ願い出て、敵直之進が、横死した旨の書状を貰った。 兄弟の家は、八百石を....
乱世」より 著者:菊池寛
征の軍にとっては、第一の目標であった。その上、元治元年の四月に、藩主越中守が京都所司代に任ぜられて以来、薩長二藩とは、互いに恨みを結び合っている。薩長の浪士たち....
島原の乱」より 著者:菊池寛
始に散る花の 名のみ残らばさきがけと知れ 重昌の志や悲壮である。名所司代板倉重宗の弟で、兄に劣らぬ器量があり、兄は重厚、弟は俊敏であったが、つまら....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
府の老中らは宮様の御降嫁をもって協調の実を挙ぐるに最も適当な方法であるとし、京都所司代の手を経、関白を通して、それを叡聞に達したところ、帝にはすでに有栖川家と御....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
日前後の消息を伝えてある。 池田屋の変は六月五日の早暁のことであった。守護職、所司代、および新撰組の兵はそこに集まる諸藩の志士二十余名を捕えた。尊攘派の勢力を....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
らえた。一行は三月はじめに長崎の出島を出発し、船で兵庫に着いて、大坂奉行をも京都所司代をも訪ねた。この再度の内地の旅は日本の自然や社会を観察する上に一層の便宜を....
都会に於ける中流婦人の生活」より 著者:豊島与志雄
それを本当に知ってる者は極めて少い。 巷説伝うる所に依れば、昔板倉伊賀守が京都所司代に任ぜられる時、自分の仕事には一切口出しをしないと奥方に誓わしてから、初め....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
かりでなく、かなり身上を迫害された。そこで彼は江戸を去り、京都西山に閑居したが、所司代から圧迫されたので、名古屋へ移って住むことになったが、武士であっては都合が....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
京都所司代の番士のお長屋の、茶色の土塀へ墨黒々と、楽書きをしている女があった。 照....
にらみ鯛 」より 著者:佐藤垢石
悲しき副膳のお肴 万延元年の四月の末の方、世はもう、青葉に風が光る初夏の候であった。 京都所司代酒井若狭守忠義は、月並みの天機奉伺として参内した。ご用談が、予定以上に長く....
切支丹転び」より 著者:田中貢太郎
けた。先ず残存している教会堂を毀つとともに、大久保|忠隣を奉行として近畿に送り、所司代板倉|勝重と協力して、切支丹の嫌疑のある者を残らず捕縛さし、それを一人一人....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
あろうが、他の道をたどったものは、彼らの慣れた営業がもと肉を扱うにあったが故に、所司代から命ぜられていた餌差が、扶持に離れて町猟師になったが様に、獣類屠殺の方に....