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「才名〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

才名の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
つみ切れない満足と誇りとが忍んでいた。この女たちはみな玉藻よりも先輩で、早くから才名を知られている者どもである。したがって、玉藻に対する一種の妬みから、今日まで....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
下の才俊を徴すということになった。清河の崔羅什という青年はまだ弱冠ながらもかねて才名があったので、これも徴されてゆく途中、日が暮れてこの墓のほとりを過ぎると、た....
連環記」より 著者:幸田露伴
う草や菅では無かった。当時の大権威者だった藤原道長の妻の倫子に仕えて、そして大に才名を馳せたのであった。倫子は左大臣源雅信の女で、もとより道長の正室であり、准三....
姨捨」より 著者:堀辰雄
とでもすると、慌ててそれを他に外らせようとしたりした。しかし、女はいつかその男が才名の高い右大弁《うだいべん》の殿である事などをそれとはなしに聞き出していた。―....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
年蜀山人七十五歳を以て逝《ゆ》く。これより先安永天明の交《こう》蜀山人と相並びて才名を馳《は》せたる平秩東作、朱楽菅江、唐衣橘洲、手柄岡持《てがらのおかもち》ら....
法然行伝」より 著者:中里介山
僧都《みょうへんそうず》は少納言|通憲《みちのり》の子であって三論の奥旨を極め、才名世に許されていたけれども、名利を厭《いと》い、勅命を避けて高野に隠遁していた....
三国志」より 著者:吉川英治
いるだろうか」 「襄陽宜城の人で、馬良、字を季常という、この者の兄弟五人は、みな才名高く、馬氏の五常と世間からいわれていますが、中で馬良はもっとも逸材で、その弟....
三国志」より 著者:吉川英治
の影響は大きかったらしい。 蜀の長水校尉をしていた廖立という者は、前から自己の才名を恃んで、 (孔明がおれをよく用いないなんていうのは、人を使う眼のないものだ....