扶持米[語句情報] » 扶持米

「扶持米〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

扶持米の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
稲生播磨守」より 著者:林不忘
度は、いったい誰が決めたのだ。 郁之進も森も、考えこむ。 池田 要するに、扶持米《ふちまい》を貰って食わせてもらっておるから、頭をさげる。それだけのことじ....
石狩川」より 著者:本庄陸男
いたかも知れない。 転封して来たものは再転封されてこの土地を去ったというのだ。扶持米《ふちまい》取りの役付き家臣はなつかしい家屋敷を買いもどしたというのだ。采....
雪之丞変化」より 著者:三上於菟吉
ったのであったが、検察の当局も見て見ぬふりをしたのであった。彼等とても、お蔭で、扶持米《ふちまい》を切り替えるのに、大分損をしているのだから、恨みは、民衆と同じ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
中で飢えたる民が襲いかかって奪ってしまう、それだから、一台か二台の車に積んで運ぶ扶持米《ふちまい》でさえ、さむらい共が四五十人して守って引かせたものだ。村々町々....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
から大阪の豪商は暗に天下の諸大名を眼下に見下だしていた。貸してくれた際には、別に扶持米《ふちまい》を与えあるいはそれを増すこともあった。 この頃の豪商のおもな....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
売る土がなくなると姉が死んだといって、蔵前の札差《ふださ》しに、来年さらいねんの扶持米を金にして貸せといたぶりに行く。札差し稼業はもとよりそういう放埒《ほうらつ....
四十八人目」より 著者:森田草平
ととなった。中村は小山田庄左衛門なぞと同じく百五十石取りの上士で、鈴田は三十石の扶持米を頂いていたものであった。 頭領大石内蔵助もいよいよ十月の七日には京師を....
高瀬舟」より 著者:森鴎外
る。しかし不幸な事には、妻をいい身代の商人の家から迎えた。そこで女房は夫のもらう扶持米で暮らしを立ててゆこうとする善意はあるが、ゆたかな家にかわいがられて育った....
奥の海」より 著者:久生十蘭
くことにしたが、六月になると西国総体に米が不足し、大阪からの廻米が途絶えてお倉の扶持米の石《こく》が切れ、一人、日に二合という面《つら》扶持になり、舅の口どころ....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
い薹が立ってきたのを語るものである。 「おれもこんどは落ちつくぜ。うム、御恩賞と扶持米を大事に守って、昔のとおり川島の原士となって、この屋敷を建てなおすつもりだ....
母の手毬歌」より 著者:柳田国男
もべつであった。朝け夕けの常の飯料は、ふつうにはげびつ出した。すなわち一日一人の扶持米を、五合と立てた計算のもとである。これにたいして屋外の食事には、前日から籾....
エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
堕落する。堕落の結果ますます世間から嫌われる。当初は当然の権利として要求した筈の扶持米の如きも、所謂旦那方の慈悲心に訴えて恵んでもらうという状態になっては、乞食....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
ら出ておった。後にはこれも京都蓮台野から出て、相変らず小法師と呼ばれ、年七石の御扶持米を頂戴しておった。これが為にその子孫は、明治三十幾年かにその由緒を申し立て....