扶桑[語句情報] »
扶桑
「扶桑〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
扶桑の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
もなく繁盛するという話だがご存じですかい、とぬかしたんでね。御嶽《おんたけ》教、
扶桑《ふそう》教といろいろ聞いちゃおるが、お富士教ってえのはあっしも初耳なんで、....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
と、奇怪です。不思議な小娘は、しめなわをものものしげに張りめぐらしたそこの右側の
扶桑教《ふそうきょう》祈祷所《きとうしょ》と見える一軒へ、主従ふたりを誘うかのご....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
翼にやや遅れて、我が艦隊の誇るべき主力、旗艦|陸奥以下|長門、日向、伊勢、山城、
扶桑が、千七百噸級の駆逐艦八隻と航空母艦|加賀、赤城とを前隊として堂々たる陣を進....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
五合目まで行かれたという噂だが。……」 「はい。参りましてございます」 「富士は
扶桑第一の霊山。しかし険しさも日本一だよ。よく登山出来ましたな。神のお誘導きがあ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
に誤解されやすいところで、篤胤大人の上に及んだ幕府の迫害もはなはだしかった。『大
扶桑国考』『皇朝無窮暦』などの書かれるころになると、絶板を命ぜられるはおろか、著....
「嵐」より 著者:島崎藤村
。田舎へ行ったら読んでごらんなさいと言って僕にくれてよこした。何かと思ったら、『
扶桑陰逸伝』サ。画の本でもくれればいいのに、こんな仙人の本サ。」 「仙人の本はよ....
「小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
津洲の第一遊撃隊、先鋒として前にあり。松島を旗艦として千代田、厳島、橋立、比叡、
扶桑の本隊これに続ぎ、砲艦|赤城及び軍見物と称する軍令部長を載せし西京丸またその....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
、またひとのみち教団が宗教行政に適応するために名目上自分でその一派と名乗っている
扶桑教にも検察の眼を向け始めたものである。 大本教の検挙はこれとは趣を異にして....
「惜別」より 著者:太宰治
かに優秀らしい生徒が乗り合わせていたので、にわかに興が醒めて、洞庭西湖を恥じざる
扶桑第一の好風も、何が何やら、ただ海と島と松と、それだけのものの如く思われて、甚....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
びしい町外れとなって、板びさしの突き出た、まん幕の張りめぐらされた木造|小舎に、
扶桑本社と標札がある。
扶桑講を講中としているところの、富士崇拝教の本殿である。講....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
、俺一人醒めているからよ。そこで救世と出かけたのだ。厭な役廻りだがしかたがない。
扶桑第一の智者と称し、安房の国の旋陀羅の子、聖日蓮は迫害を覚悟で、世の荒波へ飛び....
「文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
の細道』の中に松島の風光が詳しく記されてあります。 「抑ことふりにたれと 松嶋は
扶桑第一の好風にして 凡洞庭西湖を恥ず 東南より海を入て 江の中三里 逝江の潮を....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
年の大安寺資財帳を見ると、この寺は草創以来明らかに数度火災に罹ったもので、ことに
扶桑略記によれば、近く和銅四年にも炎上し、大安寺碑文と称するものにもこの寺焼失の....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
雛遊びと、東北地方におけるオシラ神との間に連絡を示すものと思われる一つの記事が、
扶桑略記によって伝えられている。同書天慶二年の条に「或記」というものを引いて、 ....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
喜べるかな
神戸港頭の袂別
七月十二日にシンガポールに到着しました。同地の
扶桑館という宿屋に着いて十五日に日本領事館へ尋ねて行きました。その時分の領事は藤....