承和[語句情報] »
承和
「承和〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
承和の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
すると九百九十年前は仁明天皇の嘉祥元年、すなわちかの浜主が宮中に笛を奏したという
承和十二年から四年目に相当する。浜主は笛吹きであるが、初めのうちは自ら作って自ら....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
成してしまいました。 えらい! 日本にもそういう若いのが出なけりゃあならねえと
承和の昔から、道庵が待ち望んでいたのがそれだ、万物の霊長たる人間が、鳥類のやるこ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
った。源氏は南の町の寝殿へ、夫人の所から離れてこもりながら、どうして習得したのか
承和の帝の秘法といわれる二つの合わせ方で熱心に薫香を作っていた。夫人は東の対のう....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
逃亡したヒダのタクミの捜査や逮捕を命じた官符が何回となく発せられていますが、特に
承和の官符には、変ったことが記されております。即ち、 「ヒダのタクミは一見して容....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
る「国書」に、祖宗以来武をもって国を立て、東「毛人を征する五十五国」とあり。また
承和二年陸奥国司の「解文」に、白河・菊多の関を置きてより今に四百余歳とある文等を....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
師の某君は、身体長大、色白く、眼は青味を帯び、毛多く、頬骨が秀でていると語った。
承和元年の太政官符に、飛騨の人は言語容貌すでに他国人に異なりと言われた程度のもの....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
現わすのだそうであるが、『舞曲口伝』には「古楽。面あり。深重の口伝あり。この曲は
承和御門御時(孝謙女帝崩より六七十年後)、勅を奉じて大戸清上これを作る。但し新製....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
ついて島の地は、鴨の川原と共にその以前からも庶民の墓地であったと見えて、仁明天皇
承和九年十月に、「左右京職・東西悲田に勅し、並びに料物を給して、島田及び鴨河原等....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
流貴族社会にのみ限られたものであって、一般庶民はほとんどこれに与りませんでした。
承和といえばまだ政治もそう紊れぬ古い時代でありましたが、その九年に京都の鴨河原や....
「濫僧考」より 著者:喜田貞吉
懐中にチョン髷を用意し、髷付油を以てそれをその坊主頭に着けたものであったという。
承和十一年十一月四日の「太政官符」によるに、遊猟の徒が屠割の事によって、鴨上下大....