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「承応〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

承応の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ためいけ》ではないので、あそこへ移ったのは、この事件の起きたときより約二十年後の承応三年ですから、このときはまだもと山王、すなわち半蔵門外の貝塚《かいづか》に鎮....
丹下左膳」より 著者:林不忘
で」 あとを受けついだ主水正は、指を折って数えて、 「正保《しょうほう》二年、承応三年、寛文四年九月、延宝七年……と、ちょっと数えましても、実におびただしい御....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
には行われずにいた。病が少しく重くなると、尋常の医家は手を束ねて傍看した。そこへ承応二年に戴曼公が支那から渡って来て、不治の病を治し始めた。※廷賢を宗とする治法....
累物語」より 著者:田中貢太郎
承応二|巳年八月十一日の黄昏のことであった。与右衛門夫婦は畑から帰っていた。二人....
鸚鵡蔵代首伝説」より 著者:国枝史郎
刎返そう刎返そうと反抗った。 そう、菊弥は娘なのであった。父は梶内蔵丞と云い、承応元年九月、徳川の天下を覆そうとした烈士、別木荘左衛門の同志であった。事あらわ....
興津弥五右衛門の遺書(初稿)」より 著者:森鴎外
よそながら御安泰を祈念致したく、不識不知あまたの幾月を相過し候。 然るところ去承応二年六丸殿は未だ十一歳におわしながら、越中守に御成り遊ばされ、御|名告も綱利....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
られ、次に起りし美少年の若衆《わかしゅ》歌舞伎もまた男色《だんしょく》の故を以て承応《しょうおう》元年に禁止せられて野郎《やろう》歌舞伎となりぬ。日本演劇発生の....
天草の春」より 著者:長谷健
ば、 「……重成は郡民の窮状を目のあたりに見ては、哀憫の情を禁ずることが出来ず、承応二年遂に意を決して江戸に上り、直接老中に謁見してるる郡情を具陳して、減石の正....
埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
必要とした幕府の政治家に、重んぜられたゆえんであろう。彼が幕府に仕えて後半世紀、承応三年(一六五四)に石川丈山に与えて異学活躍している、あたかも妖狐の化けた妲己....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
く台石へ登って背競べを唆られるような高い碑である。それが、武蔵の死後九年目の――承応三年に養子宮本伊織が建てたという著名な武蔵碑なのである。 台石を除いて、高....