» 拉致

「拉致〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

拉致の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
地球盗難」より 著者:海野十三
うかと迷った。博士の留守を利用して、この部屋の秘密を調べるべきだろうか。それとも拉致された佐々砲弾の後を追うべきだろうか? 彼は残念に思ったけれど、今は極力佐....
武装せる市街」より 著者:黒島伝治
ゞが、中津のさそいに乗らなければ、五人が屋内に押し入って行くつもりだった。暴力で拉致するよりほかはなかった。金は銀が五百元あった。それから通らない、紙幣が三千五....
李陵」より 著者:中島敦
たと記されている。 この知らせが李陵の耳に入ったのは半年ほど後のこと、辺境から拉致《らち》された一|漢卒《かんそつ》の口からである。それを聞いたとき、李陵は立....
社会時評」より 著者:戸坂潤
間で旅客列車が匪賊の手によって顛覆され、多数の死傷者を出し、邦人数名が人質として拉致されたという事件である。ソヴィエトの魔手もこう帝都のすぐ近くにまで逼って来た....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
人垣を作り、まえの商店からは腕力家の番頭が走り出て来て、有無を言わさず君を店内へ拉致するだろう。 ポウト・サイドは、都会と呼ぶべくあまりに統一を欠いている。そ....
素人製陶本窯を築くべからず」より 著者:北大路魯山人
ところなく、熟考を軽率にして、不用意にも独断をもって、ひそかに京師の陶工一、二を拉致し、必然的に成就を夢のごとく見、かつ画学生の力をもって仁清の深遠なる絢爛をや....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
。枢密会議の席上で凄まじい論争が続いた。キャデイズ市から数名の財産家が人質として拉致されてきていたが、彼らの身代金は自分のポケットに収めることにすると、女王は宣....
三国志」より 著者:吉川英治
や武士など大勢、土足のままはいって来た。 否応もない。陳大夫父子は、その場から拉致されて行った。 待ちかまえていた呂布は、父子が面前に引きすえられると、くわ....
三国志」より 著者:吉川英治
武士に命じて、一刃の下にその首を刎ねた。 黄奎も首を打たれた。――また、馬騰の拉致されたあと、大勢の密軍兵は、捕吏とともに、馬騰の邸を四面から焼きたてて、内か....
三国志」より 著者:吉川英治
兵がどやどやと入ってきた。有無をいわせず張松を搦め捕り、家人召使い、一人のこらず拉致して行った。 翌る日、市街の辻に、首斬りが行われた。みな張松の一家であった....
三国志」より 著者:吉川英治
っ」と、一隊の兵にすぐ発見され、すぐ船を出た七名の代表者は、そのまま彼らの屯営へ拉致されて行った。 番兵はみな関羽の麾下である。この象山には例の烽火台があり、....
三国志」より 著者:吉川英治
たり、根もない流説を触れまわったりしていた悪質の者数人は前から分っていたのですぐ拉致されて来た。 孔明は彼らに詰問した。 「いやしくも卿らは、戦いの後ろにあっ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
だった。むかし平家が赤直垂衣の童を京中に撒いて、平家の蔭口をきく者とあれば、すぐ拉致したというような――生ぬるいものではないのだ。 たとえば、文談会なども、と....
私本太平記」より 著者:吉川英治
みると、これがまたほとんど支離滅裂の状態だ。 もっとも能登ノ介清秋が宮方の手に拉致されて行った風聞はもう島々に高かったから、それ一つでも士気の沮喪はやむをえな....
私本太平記」より 著者:吉川英治
まちその衣冠は野伏たちに剥ぎとられていた。いや裸にされるなどはまだいい方で人質に拉致されてゆく者もあった。さらに途々、斬り死にした将士のからだも同様に、その武器....