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「拙作〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

拙作の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
虚構の春」より 著者:太宰治
の云いたいのは、もうお手許迄《てもとまで》とどいているに違いない『春服』八号中の拙作のことであります。興味がなかったら後は読まないで下さい。あれは昨年十月ぼくの....
大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
ちらりと見た。 我田引水のように聞えるかもしれないが、敢て手前味噌を云えば、拙作「由比根元大殺記」(目下「週刊朝日」連載中)の中の立廻りは、今までの大衆文芸....
女性の諸問題」より 著者:倉田百三
の母とはかかる母を呼ぶべきものであろう。 ゴーリキーの小説『母』の中の母親や、拙作『布施太子の入山』の中の太子の母などは、この種の道と法とに高められ、照らされ....
戯作者」より 著者:国枝史郎
と侍は、つと懐中へ手を入れたが、取り出したのは綴じた紙である。 「見るにも耐えぬ拙作ながら、ほんの小手調べに綴りましたもの、ご迷惑でもござりましょうがお隙の際に....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
梅干婆に至る迄。いぬる天保の頃までは。茶呑咄しに残したる。炭売|多助が一代記を。拙作ながら枝炭の。枝葉を添て脱稿しも、原来落語なるを以て。小説|稗史に比較なば。....
露の答」より 著者:坂口安吾
わけではなかったのですが、同郷のせいで私の名前を記憶にとどめておられ、折にふれて拙作に目を通されたこともあった由で、一般の世評よりも高く評価して下さった。それで....
吉岡芳兼様へ」より 著者:織田作之助
吉岡芳兼様へ 織田作之助 御たより拝見しました。拙作を随分細かく読んで下すって、これでは作者たるものうっかり作品が書けぬという気....
上野」より 著者:永井荷風
のいまだ布設せられなかった頃、わたくしは此のあたりの裏町の光景に興味を覚えて之を拙作の小説歓楽というものの中に記述したことがあった。 明治四十二三年の頃鴎外先....
十日の菊」より 著者:永井荷風
という事よりも、今|遽《にわか》に来り看る事の何故頻繁になったかにあるであろう。拙作『三柏葉樹頭夜嵐』の舞台に登るに先立って、その稽古の楽屋に行われた時から、わ....
日和下駄」より 著者:永井荷風
くり》の質屋もあれば有徳《うとく》な人の隠宅《いんたく》らしい板塀も見える。わが拙作《せっさく》小説『すみだ川』の篇中にはかかる路地の或場所をばその頃見たままに....
感想」より 著者:北大路魯山人
今春、思いがけない大雪が降って、都下全体交通ストップ、自動車などは一夜に皆エンコして一歩も前進できない因果な時、拙作陶の展示会を催すことになった。この大雪では誰一人見る人はなかろうと悲観してい....
西航日録」より 著者:井上円了
を送るありて、汽笛の声は万歳の声にうずめられ、秋雨蕭々のうちに横浜に着す。ときに拙作二首あり。 留別 力学多年在帝都、始知碌碌読書愚、欲扶後進開文運、再上航....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
感じ、四月一日の便船にて、豪州へ向け航行つかまつるべく候(以下これを略す)。左の拙作三首を添う。 東去西来知幾年、壮心一片老逾堅、微衷聊欲、遥上南洋万里船。 (....
すみだ川」より 著者:永井荷風
の出版界はむしろ新刊図書の過多なるに苦しんでいる。わたくしは今更二十四、五年前の拙作小説を復刻する必要があるや否やを知らない。しかしわたくしは小山書店の主人がわ....
四つの都」より 著者:織田作之助
った。 さて、残る六分ノ五には何がはいっているか。まず『新潮』三月号に発表した拙作「木の都」が背景としてはいっているのを、人は認めるだろう。この小説で私は自分....