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招魂社
「招魂社〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
招魂社の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
きい。人の鼻を盗んで来て顔の真中へ据《す》え付けたように見える。三坪ほどの小庭へ
招魂社《しょうこんしゃ》の石灯籠《いしどうろう》を移した時のごとく、独《ひと》り....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
うんだけれど、学校でまた何か言われると悪いから、今日も同一電車に乗らないように、
招魂社の中にしばらく居たら、男の書生さんが傍へ来て附着いて歩行くんですもの。私、....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
で来たのは明治以後のことで、黙阿弥の「嶋鵆月白浪」は明治十四年の作であるが、その
招魂社鳥居前の場で、堀の内まいりの男が夜そばを食いながら、以前とちがって夜鷹そば....
「虚子君へ」より 著者:夏目漱石
ですよ。それにも飽《あ》き足らず、この上|相撲《すもう》へ連れて行って、それから
招魂社の能へ誘うと云うんだから、あなたは偉い。実際善人か悪人か分らない。 私は....
「平凡」より 著者:二葉亭四迷
家《うち》とは遠縁の、変な苗字だが、小狐《おぎつね》三平という人の家《うち》だ。
招魂社の裏手の知れ難《にく》い家《うち》で、車屋に散々こぼされて、辛《やッ》と尋....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
、がたがたと格子を開けると、汚い二階家の、上も下も、がらんとして、ジイと、ただ、
招魂社辺の蝉の声が遠く沁込む、明放しの三間ばかり。人影も見えないのは、演義三国誌....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
の花柳界が盛りになったのは、回向院《えこういん》の大角力《おおずもう》が幾場所か
招魂社《しょうこんしゃ》の境内へかかってから、メキメキと格が上ったのだ。従って町....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
るというのです。それから二日目の夕方にお筆さんがそっと来て、今晩お蝶さんと二人で
招魂社の馬場へ涼みに行くから、あなたもあとから来てくれというので、私もついふらふ....
「雑記(Ⅰ)」より 著者:寺田寅彦
演奏というものを見聞する機会を得た。 それは美しい秋晴の日であったが、ちょうど
招魂社の祭礼か何かの当日で、牛込見附のあたりも人出が多く、何となしにうららかに賑....
「有喜世新聞の話」より 著者:岡本綺堂
るというのです。それから二日目の夕方にお筆さんがそっと来て、今晩お蝶さんと二人で
招魂社の馬場へ涼みに行くから、あなたもあとから来てくれというので、私もついふらふ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
でないと思ったのであります。氏は、「自分は、多少の余財を作って等身大の馬を製えて
招魂社にでも納めたい」というのが平素の願望で、一生に一度は等身大以上の大作をやり....
「梅雨晴」より 著者:永井荷風
「これじゃ新宿へ行っても駄目だ。」 質屋の店を出て、二人は嘆息しながら表通を
招魂社《しょうこんしゃ》の鳥居の方へと歩いて行った。万源という料理屋の二階から酔....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
座において「勧進帳」初演の当時、富樫左衛門を勤めたり。 ○十月、仏人スリエ、九段
招魂社にて曲馬を興行す。 ○二月、守田座の座主守田勘弥、猿若町より京橋区新富町六....
「濹東綺譚」より 著者:永井荷風
を知ったのは其の前の年、昭和五六年の間であった。たしかその年の秋の頃、わたくしは
招魂社境内の銀杏《いちょう》の樹に三日ほどつづいて雀合戦のあった事をきいて、その....
「それから」より 著者:夏目漱石
と、向うから来たり、此方から行ったりする電車が苦になり出したので、堀を横切って、
招魂社の横から番町へ出た。そこをぐるぐる回って歩いているうちに、かく目的なしに歩....