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拝賀
「拝賀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
拝賀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「かのように」より 著者:森鴎外
と云う。「でもお上《かみ》のお儀式はあるだろうね。」「それはございますそうです。
拝賀が午後二時だとか云うことでした。」こんな風に、何事につけても人が問えば、ヨオ....
「道標」より 著者:宮本百合子
雪のつもった大きい樹のかげに陰気な茶色の建物で立っていた。正月一日に、在留邦人の
拝賀式があって、そのあと、ちょっとした接待があった。そのとき客のあつまった大応接....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
を述べた上文、〈以て山※悪鬼を辟く〉の次に、〈長幼ことごとく衣冠を正し、次を以て
拝賀し、椒柏《しょうはく》酒を進め、桃湯を飲み屠蘇《とそ》を進む云々、各一鶏子を....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ていた。忘れもせぬ、廿一年紀元節の憲法発布式の日、私は大礼服がないので、――以前
拝賀には借着した事もあれど――不参をしていたが、右の大臣の講演筆記の潤色用を急が....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
る。 かくのごとくして国衙の徴収を成し遂げたので、その収入によりて、延徳元年の
拝賀の費用をも弁じ、亡父公保の月忌、例会は都合あしく無沙汰にしたことも多くあった....
「堕落論」より 著者:坂口安吾
質主義者であり、自分の一生が愉しければ良かったし、そのくせ朝儀を盛大にして天皇を
拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示....
「じいさんばあさん」より 著者:森鴎外
し詰まって十二月二十八日となって、きのうの大雪の跡の道を、江戸城へ往反する、歳暮
拝賀の大小名諸役人織るが如き最中に、宮重の隠居所にいる婆あさんが、今お城から下が....
「魔像」より 著者:林不忘
《よりあいごばん》、幸若観世太夫《こうわかかんぜだゆう》と順々に装束を正して将軍
拝賀に出る。それこそ絵のような景色である。 兵馬《へいば》はすでに遠い昔の物語....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
を送るは今回をはじめとす。 明治四十五年一月一日(元旦)、晴れ。朝、船中に新年
拝賀式あり。船長の発声にて両陛下の万歳を三唱しおわり、雑煮を味わい屠蘇を傾け、さ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
位した。 翌承久元年正月二十七日、前夜から雪であったが、鶴ヶ岡八幡宮に右大臣の
拝賀の式を行う夜更け、帰るさを別当|公暁のために弑せられた。公暁は頼家の遺子であ....
「三国志」より 著者:吉川英治
卿、朝門の百官、さては相府の諸大将など、綺羅星のごとく賓客の座につらなっていた。
拝賀、礼杯の儀式もすすみ、宴楽の興、ようやくたけなわとなった頃、楽寮の伶人や、鼓....
「三国志」より 著者:吉川英治
宮の正殿には、除夜の万燈がともされたまま、堂には文武の百官がいならび、呉侯孫権に
拝賀をなし、万歳を唱え、それから日の出とともに、酒を賜わることになっている。 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
が、名分はできた。形式はととのった。 曹丕はここに、魏王の位に即き、百官の
拝賀をうけ、同時に、天下へその由を宣示した。 時に、一騎の早馬は、 (※陵侯曹....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
「まだ、なんぞ?」 「うけたまわれば明三日、帝には朝覲の行幸(天皇が父皇の御所へ
拝賀にゆくこと)あらせられる由。今日、冷泉どのをお訪ねした折、伺いましたが」 「....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
の新春といっても、はや間近うございます。それがしどもも、木の香新しい御座に侍して
拝賀のお杯を頂戴できるものと、唯今から楽しんでおりまする」 と、その日までに、....