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「持明院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

持明院の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
進という旗本がありました。大身というのではありませんが、二百五十石ほどの家柄で、持明院流の字をよく書くところから、前に云ったように手跡指南をすることになりました....
草迷宮」より 著者:泉鏡花
お産婦の釣台を。そのわきへ、喜太郎様が、帽子かぶりで、蒼くなって附添った、背後へ持明院の坊様が緋の衣じゃ。あとから下男下女どもがぞろぞろと従きました。取揚婆さん....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
太夫は没落したので、この国衙料もまた不知行となること三十年ばかり、大永四年に至り持明院の周旋によりて、また納入さるることになった。 美濃国からは、国衙公用のほ....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
としての漢詩、漢詩と和歌との融合 十一 為家 十二 二条・京極・冷泉三家の分立、持明院統と大覚寺統、分立の意義、為世歌論の保守主義、為兼歌論の新鮮さ、『玉葉』の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
頃からの、いわゆる“大覚寺派”といわれる人々にかぎられて、おなじ宮廷の重臣でも“持明院派”と疑われる者は、一名も交じっていない。 大覚寺派とは、何か。 持明....
私本太平記」より 著者:吉川英治
針が、それなのに不思議はないが、後醍醐の疑惑は、内にあった。朝廷内の異分子やら、持明院派のうごきにもある。 かりに。――み心にそわないそれらの異分子を、反後醍....
私本太平記」より 著者:吉川英治
そかに、ホクソ笑んでいるものは、おなじ皇統なのに、事ごと、関東へ媚びを送っている持明院派の方々だろう。 そもそも、持明院派の密告行為は、宮方にとり腹心の害をな....
私本太平記」より 著者:吉川英治
まが見られようぞ」 きびしいお戯れと、みなおぞ気をふるッた。西園寺家は人も知る持明院方(新朝廷)であり、幕府と昵懇な家すじである。公宗、公重らは声もなくおのの....
私本太平記」より 著者:吉川英治
後宮や側近らにもうとまれて、とかく帝の寵から遠ざけられていたのも、肉親たちがみな持明院派の公卿だったことの祟りであったのはいうまでもない。――が、鎌倉方ではわざ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
らせ、つづいては、院、法皇、東宮、みきさき、女房たちから梶井の二品親王までの――持明院統のかたがたすべても――りくぞくとして六波羅へ避難してきた。そのため六波羅....
私本太平記」より 著者:吉川英治
思っていた。 なにも、彼がこうしたわけではない。後醍醐を追って、あとの帝位に、持明院統の皇族からおひとりを選び、 この君を と、北条氏がその政略から新帝と....
私本太平記」より 著者:吉川英治
はうなずいた。これならうなずける。そして心のうちでよろこんだ。西園寺家をはじめ、持明院統をとりつぶすには、絶好な機会と、考えられたからだった。 公重は、なお告....
私本太平記」より 著者:吉川英治
をまたくりかえしていた。 「ではやはり……」と、尊氏も今は半ばあきらめ顔に。 「持明院統の後伏見、花園の二法皇から新院(先帝、光厳)の君まで、すべて過日の内裏落....
私本太平記」より 著者:吉川英治
輩の讒謗のため、朝敵乱賊などと、一たんの汚名はうけられました。しかしひそかには、持明院統の御一方から院宣をいただき、あくまで、大君には仕え奉るおこころざしではい....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ではなかったというし、さらには「尊氏とて、皇室を思う心は一つ。ただ現帝に代えて、持明院統の君を立てて、世を安きにおかんと思うばかり……」と伝えたことばにたいして....