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接戦
「接戦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
接戦の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「自叙伝」より 著者:大杉栄
長い間物ほしに使ったのや、あるいはどこかの古い垣根から引っこぬいて来たのだった。
接戦がはじまって、両方でパチパチ叩き合っているうちに、彼等の竹竿はみなめちゃくち....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
をつくして激戦した。この時越の本庄、安田、長尾隊は甲の両角、内藤隊と甲軍の右翼で
接戦し、甲軍の死傷漸く多く、隊長両角豊後守虎定は今はこれまでと桶皮胴の大鎧に火焔....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
は殺気を山野に満したまま更けて行った。むし暑い夜であった。 両軍の
接戦、桶狭間役 むし暑い十八日の夜が明けて、十九日の早朝、元康の部将松平|光則....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
て進んで来る長州勢を迎え撃ち、時には蛤御門を押し開き、筒先も恐れずに刀鎗を用いて
接戦するほどの東北的な勇気をあらわしたという。 この市街戦はその日|未の刻の終....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ないところに、屋根に拳石《けんせき》をのせた一軒茶屋がある。そこへ立寄れば過日の
接戦の裏、五条源治の茶屋で知らないところを聞くことができたろう。兵馬もまた有力な....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
実家にただし、合戦当時の陣形を考証すると共に、武器を一通り集めなければならない。
接戦をするわけではないから、得物《えもの》の必要はないが―― とりあえず最も肝....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
運びの 三方《みかた》ヶ原《はら》には一騎の脱走 武田北条、左右に引受け 孤立の
接戦、数ヶ度の敗軍 つくづく思えば涙がこぼれる 小牧山なり、関ヶ原なり 大阪御陣....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
あった。とは言え、コンブフェールとても戦うことを得なかったのではない。彼は障害と
接戦し、溌剌《はつらつ》たる力と爆発とをもって攻撃することを、あえて拒むものでは....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
るほどだった。
彼らは敵を間近に引き受け、ピストルやサーベルや拳固《げんこ》で
接戦し、遠くから、近くから、上から、下から、至る所から、人家の屋根から、居酒屋の....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
が、彼は競泳界を引退するまで、一度もワイズミュラーに勝つことができなかった。最も
接戦したときでも、百米レースで一秒ぐらい差をつけられ、ターザン氏は全然無敵であっ....
「競漕」より 著者:久米正雄
を見るまでは安心がならなかった。 喝采はまだ続いていた。今までに類のないほどの
接戦であったのが敵味方のいずれにも属してない観衆まで熱狂せしめたのである。 「窪....
「今日の感想」より 著者:坂口安吾
けれども、僕にはどうも不思議な気持がするばかりで腑に落ちないこと夥しい。文学が直
接戦争の役に立たないことは僕も承知しているから、余り大きなことを言う元気はないの....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
に亡びてその痕《あと》なし。近く両三年以前、フランスとプロイセンとの戦いに、両国
接戦のはじめ、フランス帝ナポレオンはプロイセンに生《い》け捕《ど》られたれども、....
「余齢初旅」より 著者:上村松園
ある。 それから今度の戦蹟を歩いてみた。光華門を訪うた。折りよくこの戦の時、直
接戦争にたずさわっておられた将校の方がおられて、当時の皇軍の奮闘奮戦の模様をいろ....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
徹底せる決戦戦争なり。 ※ 吾人は体以上のものを理解する能わず。 ※ 全国民は直
接戦争に参加し、且つ戦闘員は個人を単位とす。即ち各人の能力を最大限に発揚し、しか....