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推古
「推古〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
推古の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「貉」より 著者:芥川竜之介
書紀によると、日本では、
推古《すいこ》天皇の三十五年春二月、陸奥《みちのく》で始めて、貉《むじな》が人に....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
あらたかとが存する。 もしそれ三社様に至っては、浜成、武成の兄弟と仲知とが遠く
推古帝の御宇、一日宮戸川に網して一寸八分の黄金仏(観世音菩薩)を得たという詩のよ....
「歯車」より 著者:芥川竜之介
の前の椅子に腰をおろした。それから僕の計画していた長篇のことを考え出した。それは
推古から明治に至る各時代の民を主人公にし、大体三十余りの短篇を時代順に連ねた長篇....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
しょうか。天照大神に当る方もこの一族でしょうが、その女の首長は神功皇后にも当り、
推古女帝と持統女帝とを合せて過去の人物の行動に分ち与えた分身的神話でもあるらしく....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
サガミ山中を歩くのはガマ六だけではない。彼は建築請負業としては別荘造りが専門で、
推古から現代に至る木造建築に秘密というものはない、自分はそのあらゆる様式を再現す....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ダへ出たのは木曾御岳と乗鞍の中間の野麦峠のようだ。この峠のヒダ側は小坂の町です。
推古三十五年(西暦六二七年)に群蠅が十丈ばかりのタマとなり雷鳴のような音をたてて....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
あるが、これらも尽くこの神功皇后様の朝鮮御討伐に源を発しているのである。 次に
推古天皇様の御宇十五年に、隋と交通し、はじめてわが国から遣隋使として小野妹子をつ....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
し、我が国でもそれを枕言葉として、「日の本のヤマト」なる称呼が用いられた。かくて
推古天皇の使いを隋に遣わし給うに及んで、初めてその義にとって、「日出処」または東....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
語が「間人」の語と通じて用いられた事は、同じ皇女の御事を同書用明天皇元年の条及び
推古天皇元年の条に、ともに穴穂部間人皇女とあるによって察せられる。また敏達天皇の....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
の記事によって、日本紀の天智天皇九年庚午四月卅日夜半の法隆寺火災の記事は、その実
推古天皇十八年の庚午四月卅日夜半に起ったものであった事を力説し、日本紀の記事は該....
「古陶磁の価値」より 著者:北大路魯山人
われておりますようなものには、一般に御承知の法隆寺の壁画でありますとか、あるいは
推古仏とかいうようなものでありますとか、尊いものがありますが、それらは主として内....
「河豚は毒魚か」より 著者:北大路魯山人
っと。因陀羅か梁楷か。大分近づいたが、さらにさらに進むべきだ。然らば白鳳か天平か
推古か。それそれ、すなわち
推古だ。
推古仏。法隆寺の壁画。それでよい。ふぐの味を絵....
「古事記」より 著者:太安万侶
、こういう類は、もとのままにして改めません。大體書きました事は、天地のはじめから
推古天皇の御代まででございます。そこでアメノミナカヌシの神からヒコナギサウガヤフ....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
して和恭の心を発得せしめん御心よりであります。 太子が摂政の任にお就きになった
推古朝は、日本に公に仏教が入った欽明朝の時より四十年余りしか経っておりません。し....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
である。次に崇峻天皇三年司馬|達等の子多須那が出家して、徳斉法師といったとある。
推古天皇朝の留学僧|新漢人日文を後に旻法師ともいっている。大化元年紀には、沙門狛....