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推古天皇
「推古天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
推古天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「貉」より 著者:芥川竜之介
如く変化《へんげ》自在を極《きわ》めた訳ではない。すると、貉の化けたのは、やはり
推古天皇の三十五年春二月が始めなのであろう。
勿論|貉《むじな》は、神武東征の....
「古代国語の音韻に就いて」より 著者:橋本進吉
来るかも知れませぬけれども、直接に知るということはむずかしいのであります――先ず
推古天皇の頃まで溯っても、五十の音がことごとく別々に使われ言い分けられておったと....
「三四郎」より 著者:夏目漱石
歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。
推古天皇《すいこてんのう》の時のようでもある。欽明天皇《きんめいてんのう》の御代....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
法省で「憲法志料」が出版になったが、これは故木村|正辞《まさこと》博士の編纂で、
推古天皇から後陽成天皇の慶長年中に至るまでの法文を集めたもので、「総類」「文武」....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
文献にあらわれているのは、「日本書紀」の允恭天皇の五年七月、河内国の地震で、次が
推古天皇の七年四月の大和国の地震である。西紀は河内の地震が四百十六年で、大和の地....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
その一ツで、竹内スクネは神功皇后の良人の天皇たる人の分身でもあるし、蘇我の馬子は
推古天皇の良人の天皇たる人の分身でもある。その子孫のエミシも入鹿もそうですが、こ....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
国運の向上を来さしめている。あとから思うと不思議なくらいそれがうまく行っている。
推古天皇の御代を、そういう危かった時代といっていいかどうか分らないが、思想上にも....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
あるが、これらも尽くこの神功皇后様の朝鮮御討伐に源を発しているのである。 次に
推古天皇様の御宇十五年に、隋と交通し、はじめてわが国から遣隋使として小野妹子をつ....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
今のバラモン僧正より前からあるのでありますが、密陀絵という絵風がある油絵である。
推古天皇の玉蟲の厨子も密陀絵であります、これはペルシャの言葉で「ムルダーセン」と....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
し、我が国でもそれを枕言葉として、「日の本のヤマト」なる称呼が用いられた。かくて
推古天皇の使いを隋に遣わし給うに及んで、初めてその義にとって、「日出処」または東....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
語が「間人」の語と通じて用いられた事は、同じ皇女の御事を同書用明天皇元年の条及び
推古天皇元年の条に、ともに穴穂部間人皇女とあるによって察せられる。また敏達天皇の....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
の記事によって、日本紀の天智天皇九年庚午四月卅日夜半の法隆寺火災の記事は、その実
推古天皇十八年の庚午四月卅日夜半に起ったものであった事を力説し、日本紀の記事は該....
「古事記」より 著者:武田祐吉
豐富になつたものが、比較的早い時代から、既に書卷の形になつて存在したのであろう。
推古天皇の二十八年(六二〇)に聖徳太子等によつて撰録された書卷のうち、天皇記とい....
「古事記」より 著者:太安万侶
、こういう類は、もとのままにして改めません。大體書きました事は、天地のはじめから
推古天皇の御代まででございます。そこでアメノミナカヌシの神からヒコナギサウガヤフ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
である。次に崇峻天皇三年司馬|達等の子多須那が出家して、徳斉法師といったとある。
推古天皇朝の留学僧|新漢人日文を後に旻法師ともいっている。大化元年紀には、沙門狛....