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「揚子江〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

揚子江の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
神神の微笑」より 著者:芥川竜之介
ように、清い天《あま》の川《がわ》の瀬音《せおと》でした。支那の黄河《こうが》や揚子江《ようすこう》に似た、銀河《ぎんが》の浪音ではなかったのです。しかし私は歌....
人外魔境」より 著者:小栗虫太郎
いのも、おそらく此処《ここ》へ運ばれたのではないかといっている。そうしてそこは、揚子江、黄河、メーコン三大河の水源をなし、氷河と烈風と峻険《しゅんけん》と雪崩《....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
な相違のあるのも当然である。但し漢民族は南種と言っても黄河沿岸はもちろんのこと、揚子江沿岸でも亜熱帯とは言われず、ヒマラヤ以南の南種に比べては、多分に北種に近い....
西湖の屍人」より 著者:海野十三
味だ。もし漢青年が今日のように切迫した時局を知ったなら、彼は立ち処に故山に帰り、揚子江と銭塘口との下流一帯を糾合して、一千年前の呉の王国を興したことだろう。それ....
茶の本」より 著者:岡倉覚三
が長時間の黙想中に、睡魔予防剤として広くこれを服用した。 四五世紀のころには、揚子江流域住民の愛好飲料となった。このころに至って始めて、現代用いている「茶」と....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
ひどくおそれた。その以来、なるべく船路を警戒して進んでゆくと、八月のはじめに船は揚子江にかかった。見ると、ひとりの女が岸に立って泣いているのである。呼びとめて子....
日本脱出記」より 著者:大杉栄
兵の中の一人と、ロシア人の中の若い学生十人ばかりとだった。 フランスの水兵は、揚子江上りの砲艦に乗っていたのだが、満期になって国へ帰るのだった。始終一緒になっ....
鬼仏洞事件」より 著者:海野十三
仕事、一つに女流探偵の風間三千子の名誉がかけられていた。 鬼仏洞は、ここから、揚子江を七十キロほど遡った、江岸の○○にある奇妙な仏像陳列館であった。 これは....
鴉片を喫む美少年」より 著者:国枝史郎
令官ゴフと計り、海陸共同して進撃し、呉淞を取り、上海を奪い、その上海を根拠とし、揚子江を堂々溯り、鎮江を略せんとしている人間なのさ。 グレーというのは英軍切っ....
光は影を」より 著者:岸田国士
出よう、そう考えた。今もそう考えている。機会をねらつてるんだ。振り出しは中国さ。揚子江に沿つて、まず四川にはいる。アジア大陸横断にどれくらいかゝるか。天山南路は....
荘子」より 著者:岡本かの子
喙、常行西海、遊於東海、以海飛、其音如鶏鸞。 だが東海の海近い姑蘇から出発して揚子江を渡り、淮河の胴に取りついてその岸を遡り、周の洛邑へ運ぶ数十日間その珍魚を....
赤げっと 支那あちこち」より 著者:国枝史郎
くもヤンキーと対した時だけは、此方の味方となるのではあるまいか。 翌日の午前に揚子江口へ船が這入った。広大無辺の大河揚子江は僕等の船を呑んでもその両岸を我等に....
中支遊記」より 著者:上村松園
近く考えられるのだった。東亜共栄圏という文字が実にはっきり来るのである。 船が揚子江を上り、上海近くなると知名の新戦場も甲板の上から指呼のうちにあるのだが、そ....
浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
植林に治水に農業に工業に中国人民の自然とのたたかいの勝利の姿をみるのであります。揚子江にかけられた大鉄橋、黄河の三門峡、永定河に作られんとする官庁ダム、さらに長....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
にかれとこの話をし、この小事件もかれの心に暗い影を落しているのを感じた。かれは今揚子江の岸に相変らず孤独に暮している…… こういう僕の友だちと一しょに僕の記憶....