揚屋[語句情報] »
揚屋
「揚屋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
揚屋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「心中浪華の春雨」より 著者:岡本綺堂
が暮れて六三郎はさらに新屋敷へ行った。 「よう来て下さんした」 お園は六三郎を
揚屋《あげや》へ連れて行った。今夜は当分の別れである。格子の立ち話では済まされな....
「鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
《おど》されて来たのである。悲しいと怖ろしいとが一緒になって、お染はふるえながら
揚屋《あげや》の門《かど》をくぐった。 あげ屋は花菱《はなびし》という家で、客....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
たら、このように退屈なぞいたさぬわ」 あっさりその手を払いすてると、悠然として
揚屋《あげや》町の方にまた曲って行きました。 こうしてどこというあてもなく、ぶ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
奥州筋ですから、出る役者はみんな奥州弁でなければならないんですが、とんだ白石噺の
揚屋のお茶番で、だだあを下手にやり損じると却ってお笑いぐさですから、やっぱり江戸....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
も、その寂しい旅情にしみじみと浸りたいために違いないのでした。 京町、江戸町、
揚屋町と、曲輪五丁町の隅から隅をぐるりと廻って、そうして久方ぶりに長割下水へ帰り....
「霜凍る宵」より 著者:近松秋江
女主人は今から二十年ほど前まで祇園で薄雲太夫といって長い間全盛で鳴らしたもので、
揚屋の送り迎えに八文字を踏んで祇園街を練り歩いていたそのころ廓の者が太夫を尊敬し....
「縮図」より 著者:徳田秋声
お神も上方から流れて来た、五十年輩の三味線弾きを一週に何度か日を決めて家へ迎え「
揚屋」だの「壺坂」だの「千代萩」に「日吉丸」など数段をあげており、銀子も「白木屋....
「風流仏」より 著者:幸田露伴
出立が徳と極るであろうが、人情の秤目に懸ては、魂の分銅次第、三五が十八にもなりて
揚屋酒一猪口が弗箱より重く、色には目なし無二|無三、身代の釣合滅茶苦茶にする男も....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
だ》り、 「島原の廓《くるわ》、今は衰へて、曲輪《くるわ》の土塀など傾き倒れ、
揚屋町《あげやまち》の外は、家も巷《ちまた》も甚だ汚なし。太夫の顔色、万事祇園に....
「南地心中」より 著者:泉鏡花
表二階に並んだ座敷は、残らず丸官が借り占めて、同じ宗右衛門町に軒を揃えた、両側の
揚屋と斉しく、毛氈を聯ねた中に、やがて時刻に、ここを出て、一まず女紅場で列を整え....
「後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
ので、誰が殺したのかさっぱり分らぬように成りました。取敢えず文治には乱暴者として
揚屋入を仰付け、其の他の者は当分仮牢|留置を申付けられました。 六 さて明....
「紅白縮緬組」より 著者:国枝史郎
だ浦里を身請けしない前の、ある春の日のことであったが、取り巻を連れて吉原の新町の
揚屋で飲んでいた。 一蝶の作った花見の唄を、市川※校の琵琶に合わせ、たった今唄....
「註文帳」より 著者:泉鏡花
が、向風に少々鼻下を赤うして、土手からたらたらと坂を下り、鉄漿溝というのについて
揚屋町の裏の田町の方へ、紺足袋に日和下駄、後の減ったる代物、一体なら此奴豪勢に発....
「里の今昔」より 著者:永井荷風
うて、廓者《くるわもの》の住んでいる汚い長屋の立ちつづいた間から、江戸町一丁目と
揚屋町《あげやまち》との非常門を望み、また女郎屋の裏木戸ごとに引上げられた幾筋の....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
やす、貴方が御勘当になれば私はあなたをベロ/\甜めますよ、あなたが御勘当になれば
揚屋町の裏|辺の小粋な処へ世帯をお持たせ申して、私が仕送りをして御不自由はおさせ....