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「揮毫〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

揮毫の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
伝兵衛の推挙で先ごろ千倉屋へたずねて来て、澹山に西王母の大幅を頼んで行った。その揮毫がなかなかはかどらないので、五、六日前にも千之丞はその催促に来た。しかしその....
三つの窓」より 著者:芥川竜之介
年月はこの厭世主義者をいつか部内でも評判の善い海軍少将の一人に数えはじめた。彼は揮毫を勧められても、滅多に筆をとり上げたことはなかった。が、やむを得ない場合だけ....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
九州の土が生んだ最も高徳な人ではなかったろうか。 その銅像の銘には古賀得四郎氏揮毫の隷書で左の意味の文句が刻んで在る。 梅津只圓翁 翁ハ旧黒田藩....
北斎と幽霊」より 著者:国枝史郎
。 柳営|絵所預りは法眼|狩野融川であったが、命に応じて屋敷に籠もり近江八景を揮毫した。大事の仕事であったので、弟子達にも手伝わせず素描から設色まで融川一人で....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
ちらよりのお帰りでござりましょう?」 「江戸将軍家より招かれて百鬼夜行の大油絵を揮毫するため上京し、只今ようやく帰られたところ」 「二頭の馬に積まれたは?」 「....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
れも家庭の改革であった。 新築祝いがあった。 先ず客を招く準備として、襖絵の揮毫に大場学僊を煩わした。学僊は当時の老大家である。毎朝|谷中から老体を運んで来....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
の絵を買って下すったり、またその絵が入賞したりしました。それから或る時はまた御前揮毫を致したこともあり、次第に人の注目を惹くようになって、親の身としては喜ばしく....
画道と女性」より 著者:上村松園
からと申すので、旧臣の総代として京都大学の新村博士が私のところに見えられ、御屏風揮毫の御依頼がありました。それをお受けしたのは昨年の九月頃であったろうか。最初の....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
うに拝されました。この年、私の「月蝕の宵」がお目に止まったものか、突然、「御前|揮毫をせよ」という電報を、京都の宅でお受けいたしました。早速上京いたしまして、文....
虹と感興」より 著者:上村松園
いらなかったのです。藤田さんは非常にこれを惜しがられて、ぜひこの屏風と同じものを揮毫してくれと、懇々私にお話しがあったのですが、私も一応はお受けはしたようなもの....
白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
に債が迫った。顧みないにした処で、受合った義理は義理で、退引ならず二階で、膝詰の揮毫となる処へ、かさねて、某新聞の記者、こちらは月曜附録とかいう歌の選の督促で一....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
平の風流に倣ったのであろう。十二枚袋入がたった一朱であった。袋の文字は大河内侯の揮毫を当時の浅草区長の町田今輔が雕板したものだそうだ。慾も得もない書放しで、微塵....
鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
筆蹟が見事だった。晩年には益々老熟して蒼勁精厳を極めた。それにもかかわらず容易に揮毫の求めに応じなかった。殊に短冊へ書くのが大嫌いで、日夕|親炙したものの求めに....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
放|淋漓たる筆蹟にて墨黒々と麗わしく二葉亭四迷之墓と勒せられた。 三山は墓標に揮毫するに方って幾度も筆を措いて躊躇した。この二葉亭四迷は故人の最も憎める名であ....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
次第であるが、しかも例の黄金の力はよく九条関白や参議教長を動かして、これがために揮毫を試むるを余儀なくせしめたものと見える。 基衡が毛越寺を営むや、丈六薬師仏....