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摩利支天
「摩利支天〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
摩利支天の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
ように、御盃を御挙げになると、その女房の方を御覧になって、
「摩利と申すからは、
摩利支天《まりしてん》を祭る教のようじゃな。」
「いえ、
摩利支天ならよろしゅうご....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
》すえ」というのが一体。 「浅草花川戸町戸沢長屋しげ」というのが一つ。 「深川|
摩利支天《まりしてん》横町ひさ」というのが一基。 「日本橋|亀島《かめじま》町紅....
「どんぐり」より 著者:寺田寅彦
もう何年前になるか思い出せぬが日は覚えている。暮れもおし詰まった二十六日の晩、妻は下女を連れて下谷
摩利支天《したやまりしてん》の縁日へ出かけた。十時過ぎに帰って来て、袂《たもと》....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
で書けないからと言って巻物になっている「目録」を持って来て、僕に写さした。東方の
摩利支天、西方の何とか、南方の何とか、北方の何とか、というようなことがあって、呪....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
の猛悪な相をした面当で隠されてあった。そして、背には、軍配|日月の中央に南無日輪
摩利支天と認めた母衣を負い、その脇に竜虎の旗差物が挾んであった。しかし、その一列....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
子岳着、二時頃三角点にて万歳三唱、両側に池を眺めながら尾根を進みて一、二時間にて
摩利支天着、三角点にて万歳三唱、下山、雪渓の上を廻りて道に出で、また登りて、二ノ....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
人包になし、二尺四寸五分順慶長光の太刀を抜き放ち、放生月毛と名づくる名馬に跨り、
摩利支天の再来を思わせる恰好をしていた。 今や、信玄の周辺人なく好機逸すべから....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
と云って、殿り戦を引き受けて大勝したのが、碧蹄館の戦である。此の時の隆景の勇姿は
摩利支天の如くであったと云われている。 隆景に賛成したのが宗茂で、相共に奮戦し....
「少年時代」より 著者:幸田露伴
先ず此処で数えて見れば、腰高が大神宮様へ二つ、お仏器が荒神様へ一つ、鬼子母神様と
摩利支天様とへ各一つ宛、御祖師様へ五つ、家廟へは日によって違うが、それだけは毎日....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
十八手、四十八手、あすはどの手で投げてやろうと寝返り打って寝言を言い、その熱心が
摩利支天にも通じたか、なかなかの角力上手になって、もはや師匠の鰐口も、もてあまし....
「妖僧記」より 著者:泉鏡花
あり、魔境を以て国中に鳴る。蓋し野田山の奥、深林幽暗の地たるに因れり。 ここに
摩利支天を安置し、これに冊く山伏の住える寺院を中心とせる、一落の山廓あり。戸数は....
「松と藤芸妓の替紋」より 著者:三遊亭円朝
松屋という提灯の吊してある処で」 旦「法華宗なのかえ」 三「何でも金にさえなれば
摩利支天様でもお祖師様でも拝むんで、それだから神様の紋散しが付いて居るんで……母....
「安吾武者修業」より 著者:坂口安吾
たものであるから、ここには装飾の手が加わらなかったのではあるまいか。弟子が見ると
摩利支天の罰が当り、目がつぶれると云われていたそうだ。 他の奥義書はよく見てい....
「かくれんぼ」より 著者:斎藤緑雨
れぬ俊雄の狼狽えるを、知らぬ知らぬ知りませぬ憂い嬉しいもあなたと限るわたしの心を
摩利支天様聖天様不動様妙見様|日珠様も御存じの今となってやみやみ男を取られてはど....
「夫人利生記」より 著者:泉鏡花
で、ほとんど寺つづきだと言っても可い。赤門には清正公が祭ってある。北辰妙見の宮、
摩利支天の御堂、弁財天の祠には名木の紅梅の枝垂れつつ咲くのがある。明星の丘の毘沙....