摩耶[語句情報] »
摩耶
「摩耶〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
摩耶の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「草枕」より 著者:夏目漱石
へもぐり込んで、十七里向うへ行ってまた隆然《りゅうぜん》と起き上って、周囲六里の
摩耶島《まやじま》となる。これが那古井《なこい》の地勢である。温泉場は岡の麓《ふ....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
並行の単縦陣型を作って、刻々に敵艦隊の右側を覘って突き進んだ。 その背後には、
摩耶、霧島、榛名、比叡が竜城、鳳翔の両航空母艦を従え、これまた全速力で押し出し、....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
小銃の砲撃を聞いた。わずかの人数で英国兵の一隊に応戦すべくもない備前方があわてて
摩耶山道に退却したとのうわさも伝わった。この不時の変時に、沿道住民の多くはその度....
「連句雑俎」より 著者:寺田寅彦
くらいである。同じ巻でも「子《ね》の日」と「春駒《はるこま》」、「だびら雪」と「
摩耶《まや》の高根に雲」、「迎いせわしき」と「風呂《ふろ》」、「すさまじき女」と....
「産屋物語」より 著者:与謝野晶子
分は世界の男の何人もよう仕遂げない大手柄をした。女という者の役目を見事に果した。
摩耶夫人もマリヤもこうして釈迦や基督を生み給うたのである、という気持になって、上....
「古狢」より 著者:泉鏡花
の娘も、町の三辻の処で見返った。春|闌に、番町の桜は、静である。 家へ帰って、
摩耶夫人の影像――これだと速に説教が出来る、先刻の、花御堂の、あかちゃんの御母ぎ....
「一九二五年より一九二七年一月まで」より 著者:宮本百合子
○女子大学生 ラバ lover さん 私立大学のハイカラ生 ※《エル》サン
摩耶山はエルさんをつれてのぼるところだ、と思いましたよ。 智識階級の二十―三十....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
合羽すれあふ大手かな 蓑を着て河内通ひや夏の雨 清水ある家の施薬や健胃散 雨雲の
摩耶を離れぬ卯月かな 大沼や蘆を離るゝ五月雲 短夜や蓬の上の二十日月 短夜の麓に....
「雪霊記事」より 著者:泉鏡花
っています――六本指なぞと、気もない事です。確に見ました。しかもその雪なす指は、
摩耶夫人が召す白い細い花の手袋のように、正に五弁で、それが九死一生だった私の額に....
「おさなき灯台守」より 著者:竹久夢二
仕方が無いよ、そう思わない?」 「そうね、あたしも先刻からそう思っていたけれど、
摩耶ちゃんが淋しがると思って言わなかった。」 「また難破船でもあるのじゃないかし....
「昭和遊撃隊」より 著者:平田晋策
、そのたくましいことは、海の猛獣のようだ。『愛宕《あたご》』『高尾《たかお》』『
摩耶《まや》』『鳥海《ちょうかい》』『那智《なち》』級四隻もいる。『加古《かこ》....
「夫人利生記」より 著者:泉鏡花
あ、まだお娘御のように見えた、若い母さんに手を曳かれてお参りなさった、――あの、
摩耶夫人の御寺へかの。」 なき、その母に手を曳かれて、小さな身体は、春秋の蝶々....
「清心庵」より 著者:泉鏡花
一 米と塩とは尼君が市に出で行きたまうとて、庵に残したまいたれば、
摩耶も予も餓うることなかるべし。もとより山中の孤家なり。甘きものも酢きものも
摩耶....
「猪鹿蝶」より 著者:久生十蘭
らいどう見てもせいぜい三十一、二ってところ。ええ、そう。面白くないのよ。「いつか
摩耶へ遊びに行ったのが、最後だったわね。そのあとのほうが、派手で面白かったけど。....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
案する日が多くなった。 四月二十一日は大師参りに当る久しぶりの休日だった。私は
摩耶山に登り、帰り道、おりからのなぎに油を流したような神戸港をながめて考え込んだ....