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支族
「支族〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
支族の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
その先途も見届けたく、かつは疾病死亡を相訪い相救いたい意味からも親近の間柄にある
支族なぞとは離れがたく思って、躊躇に躊躇したあげく、太政官からの御達しや総督府参....
「巌流島」より 著者:直木三十五
本当で、此処で武蔵は生れたのである。尤《もっと》も武蔵の祖先に播州の旧家赤松氏の
支族があるから、播州に縁の無い事もないし、宮本と云う所が、播作の国境に近いから間....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
は今でこそ、こんな山家の郷士で朽ちているが、祖先の平田|将監は、播州の豪族赤松の
支族で、おまえの血の中にはまさしく、建武の英傑の血もながれているのだ。それをおま....
「三国志」より 著者:吉川英治
か。見ずやなおわが君家劉予州を。大漢四百年、その間の治乱には、必然、多くの門葉ご
支族も、僻地に流寓し、あえなく農田に血液をかくし給うこと、何の歴史の恥であろう。....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
を仰ぎ見させる“系図の大樹”そのものだった。 このほか女子や母系の人々、分家の
支族など、かぞえきれない葉や枝がある。置文(遺書)の筆者家時などは、つい近年の故....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
によって、遠い島から急いで来たのらしい。 隠岐ノ判官佐々木清高は、佐々木党の一
支族で、いうまでもなく、道誉は宗家佐々木であった。 で、先年の先帝島送りのさい....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、故郷三河の一色村へついていた。 あらためていうまでもなく、この地方は足利家の
支族のものが古くから郷主として、また開拓者として、根をおろしてきた村々だった。吉....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
へ半里、利根川べりに行きあたる。 そこの川岸の里は地名を徳川といい、新田家の一
支族、徳川教氏の住地だった。――この世良田徳川の子孫が、遠いのちに、江戸幕府の徳....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
んとはいわぬ。彼のみつぎをうけぬ大官はまずないからの。なんとなれば、道誉の佐々木
支族は、南海から出雲地方にまでおよんでおる。それらを通じて、彼は海外との交易をや....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
道誉の筆蹟であった。 思いがけない―― しかし、備前佐々木党は、近江佐々木の
支族であり、加治安綱にとれば、佐々木道誉は、つまり宗家のお人である。――ここで道....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の遮断に当ったことだろうが、この地方は古くから豪族赤松の分流やら、その他の土豪の
支族が、小勢力にわかれていて、利害はそれぞれ錯雑し、毛利方に加担するもあれば、織....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
な自分を刺すように感じられたそうである。 忠臣蔵の吉良上野介も、祖先は足利家の
支族である。だから尊氏が中原へ出た軍需や足がかりの地は、三河だった。 そんなわ....
「日本歴史の研究に於ける科学的態度」より 著者:津田左右吉
るならば、日本の国家は一家族のひろがったものである、皇室は宗家であって国民はその
支族である、ということのいわれているのがそれである。これがもし、事実そうであると....