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支那学
「支那学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
支那学の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「青年」より 著者:森鴎外
つから、形紙を張った向側の壁まで一ぱいに日が差している。この袖浦館という下宿は、
支那学生なんぞを目当にして建てたものらしい。この部屋は近頃まで印度学生が二人住ま....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ん》じその魏々然たるを視《み》るなかれと、予は三十歳ならぬ内に、蘭国挙げて許した
支那学の大親方グスタウ・シュレッケルと学論して黄色な水を吐かせ、手筆の屈伏状を取....
「若い婦人のための書棚」より 著者:宮本百合子
るが日本にはそれがないというばかりではあるまい。日本の昔ながらの支那通、あるいは
支那学者といわれた人々は支那の古典の世界にとじこもっていたし、一方きわめて近代化....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
国で始めて鼠をクベラすなわち毘沙門の使い物としたのだ。山岡俊明等このインド以北の
支那学説とインド本土の経説の混淆《こんこう》地で作られた大乗諸経に見ゆるからとて....
「読書遍歴」より 著者:三木清
ことである。この会の中心は私より一級下の倉石武四郎君であった。倉石君は現在京大の
支那学の教授であるが、先だって同君からその著書『支那語教育の理論と実際』という本....
「わが青春」より 著者:三木清
であろう。哲学の西田幾多郎、哲学史の朝永三十郎、美学の深田康算、西洋史の坂口昴、
支那学の内藤湖南、日本史の内田銀蔵、等々、全国から集まった錚々たる学者たちがその....
「色彩映画の思い出」より 著者:中井正一
想いをもっているのである。 以下、思いいずるままに語ろう。 一九三一年ごろ、
支那学者内藤湖南氏の息子であり私の友人内藤耕次郎が京大の心理学教室にいた。彼はそ....
「日本男子論」より 著者:福沢諭吉
ち我輩が独り男子を目的にして論鋒を差向けたる所以《ゆえん》なり。 然るにここに
支那学の古流に従って、女子のために特に定めたる教義あり。その義は諸書に記して多き....