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改称
「改称〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
改称の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
いている。震災以来、破損のままで捨て置かれたのであるが、来年の一月からは明治座と
改称して松竹合名会社の手で開場し、左団次一座が出演することになったので、俄かに修....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
たということにも不思議はない。蕃書調所は洋書調所(開成所、後の帝国大学の前身)と
改称される。江戸の講武所における弓術や犬追物なぞのけいこは廃されて、歩兵、騎兵、....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
れたが、それも前年度(明治五年)までで打ち切りとした。庄屋名主らは戸長、副戸長と
改称され、土地人民に関することはすべてその取り扱いに変わり、輸送に関することは陸....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
たような人である。この奔走が半蔵にとって容易でなかったというは、戸長(旧|庄屋の
改称)としての彼が遠からずやって来る地租改正を眼前に見て、助役相手にとかくはかの....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
支持したが、之に対して「戦闘的唯物論者協会」(後に「戦闘的唯物弁証法論者協会」と
改称した)に立て籠ったデボーリン一派(デボーリン、カーレフ、ルッポル、ステン、バ....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
などが連合して、一箇の俳社が出来た、此方でも俳声という雑誌を出して、後には卯杖と
改称した。その頃伊藤松宇氏は久しく静岡地方の富士製紙会社に従事していたので、我々....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
津権現とかいったものは、神田神社、根津神社というようになり、三社権現も浅草神社と
改称して、神仏|何方かに方附けなければならないことになったのである。これは日本全....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
空気のなかに押し込まれたのは、明治八年の二月であった。守田座はこの年から新富座と
改称したので、その二月興行は「扇音々大岡政談」――例の天一坊で、それを書きおろし....
「十番雑記」より 著者:岡本綺堂
いている。震災以来、破損のままで捨て置かれたのであるが、来年の一月からは明治座と
改称して松竹合名社の手で開場し、左団次一座が出演することになったので、俄に修繕工....
「久保田米斎君の思い出」より 著者:岡本綺堂
斎君と懇意になったのは日露戦争のあたりからです。明治三十六年に三井呉服店が三越と
改称して、流行会というものを拵えた。十五、六人|乃至二十人位集って、流行を研究す....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
町人もまた苗字を戸籍に登録した時、屋号の淡島屋が世間に通りがイイというので淡島と
改称したので、本姓は服部であった。かつ椿岳は維新の時、事実上淡島屋から別戸して小....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
郎の門下となり、市川権十郎と改名して河原崎座に出勤す。 ○一月、守田座は新富座と
改称す。巨額の負債の嵩みしためなり。但し一月狂言の「大岡政談」に、彦三郎の越前守....
「「特殊部落」と云う名称について」より 著者:喜田貞吉
新たに白丁と改めても、その「新白丁」が依然としてもとの才人・禾尺であっては、その
改称に何の効果もないのであった。我が「新平民」の称また然りだ。 明治・大正の時....
「〔付〕唯物論研究に就て(戸坂潤手記)」より 著者:戸坂潤
あったのではないかと考える。次に吾々は従前機関誌の発行を書店(木星社、後隆章閣と
改称)に委せていたのであるが、その書店の財政状態思わしからず、会財政部に、ひいて....